お茶があるっ!!

お茶があるっ!!


~唐津やきもん祭り~ 唐津にて法要と茶会を行ってまいりました

 唐津やきもん祭りにて、約400年前に唐津焼をはじめた渡来陶工たちを讃え偲ぶ法要を勤めさせていただきました…

 秀吉の朝鮮出兵(やきもの戦争ともいわれます)により連れ来られた渡来陶工の厳しい日本での作陶の日々に想いを馳せ、同時に戦争という悲しみの中ではありますが、渡来陶工によってもたらされた技術が、日本のやきものに革新的な影響を与えたことを偲ぶ法要でありました。

 法話は「やきもの法話」と題して、仏教もやきものもお茶も他力!という勝手な共通点を見出し?お話をさせていただきました。
 唐津市内のどこかのお寺の総代さんがお聴聞に来てくださり、法話後の茶席で「他力のお話がよく分かった!!」とおっしゃってくださったことが一番の収穫だったかもしれません…(嬉)

 桃山時代から続く陶家、14代中里太郎衛門先生、実行委員長の坂本さん、陶工の矢野さん・浜野さんなどなど…たくさんの方々に支えられてのイベントでした。

 来年も呼んでね~♪♪♪

五月のお茶会法座②


ご参加に感謝!いろんなお方に、気軽に足を運んでいただけるお寺になりたいです…。


大山蓮華は、本当に素敵なお花です^^/


素朴ですが、大好きな唐津のお茶碗です…(~・~)

 古い唐津のお茶碗を取り合わせました…。

 無造作に作られたためか、釉薬がかからず、土が見えているところがあります。「土見せ」といわれますが、少しだけ土が見えている場合は、「火間」ともいわれます。


これは別のお茶碗ですが、こんなのは火間(ひま)といわれます。


お茶碗の高台です。焼き物好きは、土が見える高台が大好きです^0^v

 釉薬のかかり具合から、大雑把に作られた当時の雑器かなぁ?とも思われるのですが、上の写真のように、高台が丁寧に削り出されているところから考えれば、お茶碗として作られ、当時の茶人が、茶席で喜ばれるようなものを作らせたのではないか…?

と、茶友の陶工である村田浩一郎さんは、作り手としてのご自分の思いを話してくれたことがあります。


乾いていると、素朴な器に見えます…。

 というのも、この唐津のお茶碗、お湯が注がれるまでは、素朴なふりをしているのですが、一旦、器体が濡れると…


わが家では、勝手に沢瀉(おもだか)と銘をつけております…(*0*)

 こんな風に楽しい景色が浮かび上がるのです(^0^)/

 濡れることによって、釉薬がかかっていない土見せの部分が、本来の土の色をあらわし、面白い景色となるのです。

 まるで沢瀉(おもだか)の葉のような形なので、そのように銘をつけて楽しんでおります。


沢瀉(面高とも書くそうです)の葉です~♪

 ん~やはりお茶があるなぁ~!!

 村田さんが言われる通りかもしれません…。昔の茶人が、茶碗にお湯が注がれた時の景色で、お客を楽しませようと、こんな茶碗を注文したのかも???です。

 年月が経った器は、何故か、水に濡れてもたちどころにサッと乾いていきます。

 したがって、この景色を楽しめるのも、お茶を飲み干した後の一瞬だけであります。その一瞬だけであることが、かえって良いのかもしれません…。

五月のお茶会法座①


待合のお軸は、英一蝶の月に雲。

 5月8日にお茶会法座を開催いたしました…。

 待合の床には、英一蝶(はなぶさ・いっちょう)の月に雲の図です。
 「行年七十をすでにのぞむ」と記され、晩年の作であることが伺えます。元禄の時代に魚釣りをして、生類憐みの令にひっかかり、島流しにもあった元気者も、晩年は月を描くにも手が震えたようで、お軸の中で「おのづから/いざよう月の/分廻し」と書かれております。

 分廻しとはコンパスのことで、300年前に、すでにコンパスがあったことも伺えるのですが、分廻しを使っても手が震え、月がゆらゆらといざよったようです…。


本席は玉舟(ぎょくしゅう)和尚の看脚下。花は大山蓮華です。

 棚田にも水がはられるこの時期、その月に照らされて、ある瞬間、棚田の一つひとつに、いろんな形の月が映し出されることがあるそうです…。それを田毎(たごと)の月と呼ぶそうです。


主茶碗は蕎麦(そば)茶碗。銘を田毎の月と、薮内流十代休々斎が命名。


蕎麦茶碗の見込みの茶だまり部分(内側の底の部分です)の目跡です。  

 お茶碗の見込みの目跡とは、効率よく窯の中で焼き物を焼くために、器を重ねたためにできたものです。使ううちに、目跡の部分に茶渋がついて、色が濃くなり、それが美しい器の景色として喜ばれたものですから、ふつうお茶碗の見込みの目跡は、きれいに揃ったものが好まれます。


こんな感じの目跡が喜ばれます^^

 しかし、上の蕎麦茶碗の目跡は、窯だきの途中で上に重ねた器が動いたのか、揃っておりません。細いのや、曲がったのや、小さいのやらと、お世辞にもきれい!とはいえない目跡なのです…。

 ところが、薮内流十代の休々斎(きゅうきゅうさい)宗匠が、このお茶碗の銘を「田毎の月」と命名されました。
 揃っていない目跡を逆に喜ばれ、棚田に映し出されたいろいろな姿の月に見立てられたのです。

ん~お茶があるなぁ~!!!

銘一つで、お茶碗の見かたが変わるものですね…。この時期とくに、お客様にもよろこんでいただけるお茶碗です。

寒牡丹


竹花入は、大阪城の秀吉の金庫蔵の古竹で、薮内11代、透月斎の作とあります…。


 昨年11月から始まった、拙寺でのお茶のお稽古場の忘年会を、お茶事風で行いました…。

 お濃茶の前に席をあらため、床には、竹の掛け花入に寒牡丹を活けました。

 この寒牡丹、実は…。


12月7日に成道会の茶花の献花で、ギャラリー正面に活けられた寒牡丹。


 12月の初めの、お釈迦さまのお悟りを讃える成道会(行事あれこれのページにて記事にしております…)で、山中はくえ様に茶花の献花をしていただきましたが、その折に、ギャラリーの正面の古銅の花入れに、大きな赤い寒牡丹を活けていただきました…。

 その大きな赤い花の上に、小さくて堅いつぼみがおまけのようにくっついていたのです…。

 そのつぼみが、1ヶ月弱後の忘年会茶事まで、少しづつ育ってくれて、見事にお濃茶の席を飾ってくれたのです^^V

左の写真の寒牡丹の小さなつぼみが→右の写真のように育ってくれました^^v


 成道会の2日後には、大きな花は散ってしまい、つぼみの方も、じきに枯れてしまうと思っていたのですが、何やらがんばってくれているようだったので、寒い所に置きながら、毎日様子をうかがっていました。

 本当に少しづつ、つぼみが膨らんできていて、ひょっとしたら、忘年会のお茶事に使えるかも知れない!と思い、最後は冷蔵庫に入れたりなんかして(良かったのか?悪かったのか?)、当日、見事に濃茶席を飾ってくれたのでした…。

 シンプルな床の飾りとなりましたが、小さいながら、力強く、プリッとしたつぼみを披露してくれました…。

 山中はくえ様も忘年会茶事に来てくださっていましたので、大変よろこんでくださいました。

 いろいろなことがあった一年でしたが、最後に、一年を生かされた慶びと、生命力の不思議を味あわせていただいく茶事となりました…。


 ん~お茶があるなぁ~!!

今年もよろしくお願いいたします

 様々なことがあった24年でした…。

 4月の扁桃腺の手術後、すっかり高熱は出なくなりました^^Vが、切除した部分の違和感がいまだに残っております…?
 しかし、徐々に気にならなくなってきており、悪くなった活舌も、発声の仕方を変えたり、テレビにてお笑い芸人の話術に爆笑しながら、その活舌の良さを盗もうと努力しております^^;(大好きなハマカーン優勝おめでとう!!)

 11月からは、拙寺にて薮内流(やぶのうちりゅう)のお茶のお稽古もスタートいたしました…。

 お若くて^^べっぴんさんの先生をお迎えいたしまして、毎回、お点前もそうですが、お道具の勉強もしっかりできるような、そして、お茶事にむけて学ぶことができるような場をめざしております(実際は、和やかで楽しい雰囲気で、毎回お稽古に励んでおります~)。

そして何よりも“お茶があるっ!!”といえるお稽古場になっていくように、精進していきたいと思います…。

 茶の湯の文化や焼き物に興味のあるお方、是非ぜひ、お越しください^^/

 生徒さん募集中で~す。こちらまで→http://koumyouji.org/

 本年もよろしくお願いいたします…。

師匠の死②

 お稽古の前に、「よろしくお願いいたします」っと、先生に頭を下げてご挨拶をいたします…。

 入門したばかりの頃は、頭をあげてみたら、まだ先生が頭を下げておられ、慌ててまたふたたび頭をさげる日々でした。

 後々、気づかされたことでありましたが、私はお稽古ということで、形式的に頭を下げていたのですが、先生はお茶の世界に出遇われた喜びから、頭が下がる思いでおられたのです。

 常にお茶に対して、感謝の言葉を口にしておられました。最後もスプーンでお抹茶を口にされたそうです…。

 やはり、ご挨拶の姿は、形だけを真似することはできません。


宗入の赤。銘は謝茶。

 先生の美しいご挨拶の姿には、お茶があったなぁ~(涙)

 いつの日か、美しいご挨拶ができるように精進していきたいです…。

師匠の死①


お茶の先生は、お寺のおばあさまでした…。

 お茶の先生が亡くなられました…。

 お葬儀の日、その庭には、先生の好きだった椿(西王母)のつぼみがとてもきれいで、印象的でした。

 お茶会法座で使うための、お道具の取り合わせのご相談に伺った時などに、先生はニヤッと笑って、「山西さん、お点前は一つぐらい間違いなはれや!」とおっしゃられました。

 一生懸命お点前のお稽古をするのは、自分が人前で恥をかかないようするためではなく、初めての方にも気持ちよく、一服のお茶を召し上がっていただけるようになるために、お稽古をさせていただくのだなぁ!とおもてなしの心を教わったことでありました。

 先生の一言ひと言に、お茶があったなぁ~!!

 日常生活に、日本の文化が感じられなくなった若い世代の方々が、それでも日本の文化にふれたい!と、清水の舞台から飛び降りる思いで、初めてお茶席に来られたのに、作法の間違いばかりを指摘され、恥をかかされた気分になり、二度と行きたくないと思われた話を時々聞きます。

 先生の言葉を忘れずに、いつの日か、ホッとしていただけるようなお茶を点てられるようになりたいです…。

村田浩一郎 井戸茶碗展③

 前回思った独創ということについて…。

 2002年にノーベル賞を受賞された、島津製作所の田中耕一氏が、今回受賞された京都大学の山中伸弥教授に対するコメントを出されております。

その中で、京都にゆかりのある受賞者が増えたことに触れて、「私が子供の頃日本には、『欧米のマネをすれば、独創的になれる』という空気がありました。京都は、今も日本古来の伝統や文化が息づいています。個人的な意見ですが、『独創とは人と違う考えを用いて創造する』ことであり、『欧米とは異なる取り組み方・環境で研究することが独創を生み出す』そういった可能性をもっと追求して良いのでは、と最近思えるようになりました…」とおっしゃられています。含蓄がある言葉ですよね。



 皆さんは、どの井戸茶碗がキュン!と来ますか???

 謎の多い井戸茶碗ですが、作り手より、その茶碗を茶の湯の世界に活かした茶人の方に、独創があったのかもしれません。

 井戸茶碗に挑む現代の作り手の中に、いにしえの茶人のような感覚があるのかもしれません…。

 それに魅せられた人たちは、誰かと比べてどうか?ではなく、それぞれに、独創し続けているのかもしれません。

 山中教授や田中氏のノーベル賞級の発想や、井戸茶碗に魅せられた人々をはじめ、茶の湯に縁のある独創的なものの見方には、何か共通点あるように思います。

 うまく云えませんが、それは、いま元気のない日本に、唯一無二のものがある!という自信を回復させてくれるもののように思えるのです。独創的な日本の文化が見直される時期が来ているのかもしれません…。

村田さんの作品や人柄にも、同じものを感じるのです…。

     野村美術館HP http://nomura-museum.or.jp

村田浩一郎 井戸茶碗展②

 以前は、井戸茶碗というのは(とくに大井戸・青井戸)、大体形が決まっているので、現代の人がわざわざ作る必要がないのでは?と思っていました。

 創作の余地がない(素人の勝手な意見です^^;)し、本歌を越えることなどあり得ない(これも同じ^^;)と思うのです…。


 でも魅力がありますよね~(+・+)y 村田さんの井戸茶碗。

 しかし、私自身、お茶の入り口は井戸でした…。

 なんの知識もなく、自分の好みというものさえはっきりしないのに、初めて手に入れた古陶磁が、一対の井戸の盃でした(*・*)


これです(^0^)v 本来は、盃と盃台でしょうね…。

高台も大好きです(~:~)

 この盃でキュッとお酒をいただき、肌をなでまわし、穴があくほどに見つめる中で、私なりの井戸に対する思い入れや愛着が湧いて来るのです。

 他人とは違う、独自の井戸茶碗に対する想いが起こってくるようなのです…。

 井戸茶碗とは…?形は創作出来ないのですが、作り手の思い入れや感覚はそれぞれ違っていて、そこに独創的な何かがあるのかもしれません…。

 村田さんの井戸茶碗展が楽しみです。

 野村美術館HP http://nomura-museum.or.jp

村田浩一郎 井戸茶碗展①


素敵です~^^V

 私の大切な茶飲み友達である、村田浩一郎さんの個展が、もうすぐ(平成24年11月6日~11月11日)京都の南禅寺近くの野村美術館で始まります。

 ここ数年、恒例となった感がありますが、村田さんには浮ついたところが少しもありません。

 数寄者であった大実業家、野村得庵ゆかりの美術館で茶碗展!!となりますと、私なら優越感のかたまり(塊?それとも固まり?かも???)になるところですが、いつもいただくお手紙の言葉をいただくと、「山野に隠れ、一番の敵である自分と静かに向き合う生活」を送る村田さんの作陶に対する想いは、別の次元にあるように感じます。

こちらは高台がキュッと締まって美しい姿です(+・+)V

 今年は井戸茶碗の年と決めて、作陶を続けておられるようです。

 陶工にとって井戸茶碗というのは、やはり特別なものなのでしょうか…。村田さん自身、「代々の陶家でもなく、高麗茶碗とは何の関わりもない日本の一陶工が、どうしてこんなに井戸茶碗に魅せられるのか?」と不思議に思われるようです。

 しかしお手紙の中では「古い井戸茶碗を想う時、ひとつの器は、いろいろな立場や考えの人同士を一瞬の直感で通じ合わせ、無言でも会話を成立させてしまう力を持った道具のようにも思えたりします…」と語られたところ辺りが、魅せられる理由なのかなぁ?と、勝手に想像しております。

高台も美味しそ~!!

 他人と比べて上や下やと一喜一憂したり、こちらが正しい!と自らの正義感をぶつけ合うような己のあり様を、瞬時に飛び越えさせるような何かが、井戸茶碗の中にあるのでしょうか…?

 いや、むしろ、真摯に井戸茶碗に向き合う陶工の心持ちの中にこそ、一瞬かもしれませんが、そんな世界があるのかもしれません…。

 村田さん、いただいたお手紙の中から、勝手に言葉をぬき出してごめんなさい^^;

野村美術館HP http://nomura-museum.or.jp

無事是貴人


景色のいい病院の談話室でした(^0^)/

 入院中の2週間の前半は、扁桃腺の摘出手術後の喉の痛みに悩まされ、後半は原因不明の熱にダウンしておりました。


見た目は元気そうでしょ^^V

気分の良い時は、談話室で外の景色を見ながら、お茶を飲むのが楽しみでした。


談話室から見える、わが町の景色です。

 12月初めから3月初めまで高熱に悩まされ、とうとう扁桃腺を摘出することになりましたが、あまりにも高熱が続くので、いのちの危機(大げさ^^;)を感じました。

 退院した今、まだ残る喉の違和感と向き合いながらではありますが、無事に帰ることが出来て(やっぱり大げさ^^;)ホッとしております…。

 お茶でよく使われる言葉に、「無事是貴人」(ぶじこれきにん)という禅語があります。


 一般に、大した災難にも出遭わずに1年を終えることが出来た時などに、「何事もなく無事に過ごせた!」と床の間に掛けられることが多いようです。

 しかし、本来、仏教の言葉としての「無事」とは、何事もないということではなく、「はからいがない」という意味のようです。もっと分かりやすく言えば、「大変なことが起きてもジタバタしない」ということになるのでしょうか…。

 実際には、ことが起きればわれわれはジタバタとせずにはおれないのですが、それでも人生を歩むうちに起こる何事にも向き合い、それを何とか乗り越え、起きた出来事を糧にして生きる人を、貴人(尊い人)と讃えた言葉であったようです。

 無事是貴人!! う~ん お茶がある言葉ですね~


 苦しんだこの数ヶ月の間、淡々と、はからいもなく生きる!!という事は、とてもじゃないけど出来ませんでしたが…


 ご法話のネタは増えたかな(~・~)V

茶事を楽しむ

 扁桃腺の手術は、術後1週間ほどの喉の痛みが大変です(Ⅹ・Ⅹ)

 食事が苦痛で…(痛)、毎回1時間以上かけて、よく噛んだお粥を恐る恐る呑み込んでいました。


これで三分粥です。



 重湯から始まり、三分→五分→全粥と、治癒の段階に応じて、食事の内容も変わっていきます^^/

病院の食事は美味しくない!と聞いてましたが、そんなことないですね。南京がのどを通るか?と心配しましたが、口に入れると、とろけてしまいました。


南京のお汁が、柔らかくて、甘くて美味しかった~♪



 味も薄味な分、素材そのものの味がします。一口ひとくちいただく食材に、患者の容体を気遣った作り手の心を感じます。

 これはもう~茶事ですね!!!(ちょっと強引?)プラスチックのうつわも、病院のしつらいに似合っています^0^

 お茶席や茶会席のお店に行ってお料理をいただくことだけが、お茶事ではないようです…。

 作り手の真心やもてなしの工夫などを感じることが出来たり、いただく側の気持ちや状況、立場に立って料理がもてなされている処が、いつでも・どこでも・そのままお茶事の場でありました。


1時間かけていただく食事の後は、お抹茶とはいきませんが、上等のお煎茶を…。

 癌の告知を受けて、「お寺だけが聴聞の場所ではなかった。私にとって、病院のベッドの上こそが仏法聴聞のご法座の場でありました…」と、『癌告知のあとで』という尊いご本を残され、お念仏とともに生き、お念仏とともに今生のいのちを終えて往かれた、鈴木章子さんのことを思い出します…。

 お茶があるなぁ~!!

 茶の湯も仏さまの教えも、単なる知識ではなく、この身で感じるものだと、今教わっています…。

道具は使われるためにある!

道具は使われるためにある!

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 写真の焼き物は、唐津焼のぐい呑みである。もう十年以上前に、ある道具市でふと目にとまって買ったものである。

 何がどうということもない、シンプルなデザインと形のぐい呑みであったが、妙に気に入ってしまった。
 道具屋の主人に値段を聞くと、5千円という答えが返ってきた。値切れるだけ値切ってやろうと思い、ねばった結果3千円で落ち着き、新聞紙に包んでもらった。

 実際に使ってみると、これがまた良かった。お酒を呑んだり、お煎茶を飲んだり…とにかく気に入って、味がつくほど毎日使い込んでいた…。

 そんな中、ひとつ気になっていたことは、これを作った人のサインらしきものがあるということだった。「使えば使うほどに味のあるこのぐい呑みを作った人はどんな人だろう…?」サインを眺めながら、作者を想像することもいつの間にか楽しみとなっていた…。

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 気になっていたサイン???

 使い始めて3年が過ぎた頃、このサインがある大物の陶芸家のサインとそっくりであることを知った。  その名は小山冨士夫(1900-1975)。世界的な陶磁研究家として多大な功績を残し、晩年は陶芸家(号は古山子)として素晴らしい作品を残した人である。

 「きっと贋物だ…。本物なら3千円で買えるはずがない…」最初はそう思った。もしも本物なら50倍の値である。「そんなはずはない…。しかしひょっとしたら…。いやそんなバカな…。でも…」気になりだしたら落ち着かなくなったしまった。

 悩んだ末に、鑑定に出すことにした。恥をかくことになると思っていたが、結果はなんと本物であった!

 やはり陶芸家である小山冨士夫の息子さんの鑑定書きが入った桐箱が届いた。新聞紙に包まれた3千円のぐい呑みが桐箱入りに出世したのである…。

 しかし、その出世がこのぐい呑みの日々を一変してしまった。毎日、無造作に使われていたぐい呑みは、この日を境に大事に大事に桐箱の中にしまわれることになったのだ…。


ご子息が鑑定し、箱書をしてくれました…。

 京都の某所で素晴らしい茶室を見た。いつ使うのか尋ねてみたら、「重要文化財なので現在は使えません」とのことであった。
 国宝や重要文化財に指定されたお茶碗も使われることは滅多にないそうである。本来、使われるために生まれてきたはずのものが、出世をしてしまったために使えなくなる。考えてみると変な話である…。

 もしこのぐい呑みに口があったら、きっとこう言うに違いない。「俺を以前のように使ってくれ!使われることによって俺は俺でいられるんだ…」ふと、そのように聞こえた。

 使ってやろう…やはりその方がお茶がある!!

 お茶道具は、とくに使われて初めて、お茶道具と言えるように思う。どんなに高価なものであっても…である。


箱に仕舞われると、それは道具としてのいのちを失う…。

 だからこそ、粗相のないようにお稽古を重ねるのである。お稽古はお手前だけではない。
 お手前のお稽古の順番が回ってくるまで、客としてお菓子やお抹茶をいただく時こそが、お道具を大切に扱うことを学ぶ、大事なお稽古のように思う…。

お茶があるっ!!②


村田浩一郎さんの茶碗展のDMで~す^0^/ 素敵でしょ!

 昨年の10月に、お茶仲間の陶芸家、村田浩一郎さんの茶碗の展覧会が、京都の野村美術館にて開催されました。

 村田さんについては、このHPの行事あれこれのページの“お茶会法座(2月)その参”でも記事にさせていただいたのですが、お茶の心があり、研究熱心で、人やモノに対する姿勢は、常に謙虚で思慮深く、頭が下がる素晴らしい陶芸作家さんであります…。


瀬戸黒(せとぐろ)茶碗です。銘は「夜雨」と名付けられてました。

 その展覧会で出品されていた作品の中から、私があれこれ悩んだ末にいただいたのが、夜雨と銘がつけられた写真の瀬戸黒茶碗です^^


夜雨を別の角度から眺めても素敵です***

 色・造形・手に取った感じ…どれも素晴らしいです。とくにお茶をいただいてみると、この茶碗の良さが実感できることであります(^/^)

 出品されていた数々のお茶碗は、どれも素晴らしいものでしたが、私が感じたのは例年に比べて華やかさがない!ということでした。
 黒いお茶碗のみの出品でしたので、展示室全体に変化がなく、メリハリに欠けた感じがいたしました…。

 年末に村田さんに出会った時に、失礼かとは思ったのですが、黒一色の展示のために、一つひとつのお茶碗の良さがあまり引き出されていなかったのでは?と偉そうに感想を述べたのでした。

 そのとき村田さんは、多くを語らず一言「今年は大変なことがありましたので…」とおっしゃられました。

 「しまった;そうだったのか…!」私は自分自身の思慮のなさを恥じました。

 村田さんは、作陶を通して東日本大震災の悲しみに寄り添っておられたのです。悲しみに寄り添う想いが黒一色の茶碗展だったのです。
 名のある美術館での展示会で名前を売ろう!なんて浮ついたことではなく、生きていく中で出遇う喜怒哀楽を、他人事ではなくわが事として胸に刻みこみ、お茶碗という形にして生み出しておられるんだと感じました。

村田さんらしい…なんとも村田さんらしい…。そういう村田さんだから好きなんだ(変な意味じゃないですよ~)!とあらためて嬉しかったことでした。

 それに比べて私はなんとも俗っぽく、底が浅いことで、恥ずかしいのですが、恥をかきながら素晴らしい仲間に育てられていくしかないと、何とか気を持ち直しております。


展覧会の時に茶碗に添えられた銘とその由来。 私自身が闇の中を舞っているようです;

 この原稿を打っている1月4日の神戸新聞に、仏教や僧侶に対する期待と批判が記事にされており、『がんばれ仏教!』の著者である上田紀行氏が「日本仏教の最大の問題は、僧侶に当事者性がないこと。人々の苦悩に向き合わず、話を聞かないで、言葉が宙に浮いたようなありがたい話だけしてきた」と、愛情のある批判をされています。

 ボランティアだとか復興支援だとか言いながら(私自身のことですよ)、最も当事者性を見失いやすい性格に気をつけたいと思います(恥;)

 お茶とは、客は亭主の、亭主は客の思いをくみ取る世界でもあります。村田さんのお茶碗の中に、他の痛みをわが心に抱く当事者性を見る思いであります。

 思い出して、展覧会の時の村田さんの挨拶文を引っ張り出してみると、その冒頭に「天地の動きに人々の思いが錯綜(さくそう)している今、自分に出来ることは何かと考えた時、黒の仕事が心に浮かんで参りました…」とありました…。

 ん~お茶があるなぁ!!

お茶があるっ!!①

 「うん!確かに鐘の音が聞こえてきた!!」
横山大観作 「遠寺晩鐘(えんじばんしょう)の図」

 小6の三男が、学校の自主勉強の宿題に何かネタを提供してほしいということだったので、家にある絵や掛け軸を数点見せました(三男については、つぶやきのページの秋深まる京都①②を参照ください^^;)。

 その時に、私が気に入って買った唯一の絵である、横山大観の遠寺晩鐘の図と名付けられた絵を見せました。絵といっても、ハガキ大の小さなもので、しかもスケッチブックから離れて額に入れられたもののようですから、横山大観の作品と言えるのかどうかわかりませんが、それをしばらくの間じっと見つめていた三男が、上記のようなことを言ったのでした…。

 遠くの山寺で、夕暮れ時に鐘がなっている様子でありますが、山裾にお寺の屋根は描かれていますが、鐘は描かれておりません。しかし、撞かれた鐘の音に驚いて飛び立ったのであろうと思われる鳥たちの姿によって、鐘の音を聞かせているのでしょう(~・~)


小さな絵ですが、飛び立つ鳥の姿がいきいきとしております^^

 鐘の絵を描かずに鐘の音を聞かせるなんて…。う~ん粋やなぁ!!と、気に入っていたのですが、息子もそれを感じてくれたのが何かうれしかったです^o^/

 ちゃんと説明できないのですが、本来のお茶の世界には、こんな感じの粋さがあるように思うんです。

 このページでは、茶の湯とは関係ある・なしを離れて、私が勝手に「お茶があるっ!!」と感じた日常のことを記事にしていきたいと思います…。