行事あれこれ
秋の彼岸法要①
お勤めのシーンです。長男と三男も衣で勤めてくれています…^^
今年の秋彼岸法要は、何十年と、富山からご法話に来てくれていた叔父が、高齢による体調不良で、来ていただくことができませんでした…。
移り変わる世の中で、また、1年前の満身創痍のご法話の姿からも、来年はどうか…?という想像もできたのですが、「おっちゃん、来年も頼むで…」と、「今年で最期じゃ…」という叔父の言葉を聞かなかったふりをして、無理なお約束をしてしまいました…。
大分出身の叔父は、若いころはやんちゃで、義理の兄弟となった、私の父を慕ってくれておりました。父も叔父のやんちゃには手を焼いたようですが、あちこち尻拭いをして回って、かわいがっていたそうです(もう時効となるぐらい昔の話ですよ…)。
父が亡くなった後に、私の弟の結婚の話が具体化してきた時から、親代わりとして話をまとめてくれて、弟が亡くなった時もとても悲しんでくれました…。
今年は、私が代わりをつとめさせていただきましたが、叔父の命ある限り、秋彼岸の法要はご法話の席は、空けておきたいと考えております。
富山のおっちゃん!お大事に…。
今年(平成25年)のだるま忌②
薮内流四代、剣渓宗億(けんけい・そうおく)の茄子のお手紙。
前回、茄子のお話から、つい、お話が横道にそれてしまいましたが(汗)、剣渓宗億が新宮一閑(しんぐう・いっかん)なる人物にご馳走になったお礼に、お手紙をしたため、手作りの茄子を送ったということなんですが、その茄子が、実はお手紙の中に描かれた茄子のことであったと…。
そんな洒落たお手紙を、だるま忌お茶会法座の待合にかけさせていただきました。
本席は、天佑和尚の「不識」のお軸。書院棚の天板には、茶箱を…。
本席には、定番の天佑和尚の「不識」の横物のお軸、刷毛目大徳利の花入れに秋明菊(しゅうめいぎく)に水引草と金水引を添えてみました。
そして、書院棚の天板には、茶箱を置いてみたのですが、その茶箱のふたに歌が書かれておりまして、それがありがたいのです。
「面壁の/祖師の姿は/山城の/こまのはたりの/瓜と茄子かな」
とございます…。「こまのはたり」が不明ですが、護摩を焚くための護摩堂辺り…?駒…?
小間のお部屋辺り…?
とにかく、少林寺の洞窟で壁に向かって9年間、座禅を続けたダルマさんのお姿は、山城の国(現在の京都)のどこかの畑の瓜や茄子を見ても、その形からダルマさんを想像し、そのご苦労が偲ばれる…。という歌でしょう。
日常生活の中に、仏教が活きていたことがうかがえる歌ですよね…。
畑仕事をしながらダルマさんを偲んだ歌でしょうか…?畑泥棒が、盗もうとした瓜や茄子の姿からダルマさんを思い出して、そっと瓜や茄子を畑に返した時の歌でしょうか…?
私は、連れ合いを見るたび、大根が食べたくなるのですが…。
今年(平成25年)のだるま忌①
待合のお席です。今年は茄子のお手紙…。
9月1日にお茶会法座(だるま忌)をさせていただきました。
今年は待合のお軸に、薮内流四代の剣渓宗億(けんけい・そうおく)の画賛をかけました…。
画賛と申しましても、このたびのお軸は、もともとはお手紙のようです。
ごちそうになったお礼のお手紙です(^0^)/
宗億が、昨晩、新宮一閑(しんぐう・いっかん)というお方に、たいそうなお料理をごちそうになったようで、そのことに対するお礼の言葉と、お礼のしるしに手作りの茄子を三個を送ります、とのことが文面に記されております。
手作りの茄子とは、手紙に描かれた茄子のようで、とても洒落たお手紙です…。
お茶があるなぁ~^^V
茄子といえば…この夏、ずいぶんお世話になったのが、以前HPで紹介いたしましたイタリアン食堂ペルドマーニの冷製パスタでした。
6月ごろに、拙寺のご近所さんから、北野(山手幹線と北野坂が交差する信号の道路沿いの北側、みなと銀行の地下一階にあります)へと引っ越しをされました。
新しいペルドマーニの住所と地図などです!よろしく(^0^)/
しかし、暑い日にはお邪魔して、冷製パスタをいただきました。美味しいですよっ!!
日替わりでいろいろな冷製パスタがあり、それぞれおいしいのですが、私は特に水茄子とサバとか、水茄子とイワシとか、冷たくてさっぱりとした冷製が好きです^^/
これは水茄子とサバのマリネだったかな?美味しい~♪
生ハムとチーズの冷製も…うまいっ!!
話がつい、脱線いたしましたが、冷製パスタの時期はいつまでも続きません。9月中はやっているのでは?と思っております…。
ぜひ一度、行ってみてください。他のお料理も、もちろん美味しいですし、リーズナブルなお値段で、ワインも楽しめます。
その日の冷製パスタは、必ずお電話でおたずねいただき、夜に予約をしていただくと、美人の奥さま登場で~す(^0^)V
よろしくお願いいたします~!!!
成道会④
市松模様の建物の中は、悪魔の親方。右がお釈迦さま。
成道会に床の間に掛ける絵因果経には、お釈迦さまが悟りを開かれる直前に、悪魔がその邪魔をする場面が描かれております(悪魔!と言っても、天に住んでいます。仏教の特徴の一つですが、天も迷いの世界の一つに数えられております)。
悪魔が息子に、お釈迦さまの悟りを邪魔するように命じているのですが、息子は勝てるわけがないので、お父さんやめておきましょ…と、なぜかすごく冷静で、自己分析ができているのであります…(*0*)
冷静な息子と、子どもみたいなお父さん…?
はて…?どこかにそんな親子がいたような……ほっといてください(怒)!!
それはさておき、息子に断られた悪魔のお父さんは、今度は三人娘に命じて、お釈迦さまを誘惑させるのです。三人娘は、天女の中でもとびきりの美人姉妹だったとお経にはありますが、その場面までは、拙寺にある因果経には描かれておりません(残念!)
三人娘の誘惑を断ち切って、け散らしたお釈迦さまは、無事にお悟りを開かれるのです…。
どうもこの場面は、お釈迦さまの内面、すなわち、心の中の様々な煩悩との葛藤を表現しているようですね…。
自分自身に打ち勝ったお釈迦さま!!穏やかなお顔ですね…。
成道会③
絵因果経の資料も。興味のある方、来年はぜひ、来てください。
今年の仏手柑(ぶっしゅかん)は見事!
ギャラリーは、いろんな器にいろんな花を…^^/
写真では美しさが十分伝わりません…。
今年は、掛け花も増えました。
ギャラリー正面は、寒牡丹(かんぼたん)と雲龍椿(うんりゅうつばき)
これ大好きです(^0^)/
今年は、九州から、親しくしていただいているお客様が来てくださいました。遠いところをありがとうございました。
成道会②
今年は、床の絵因果経に、青竹の花入に寒牡丹でした^^
今日一日だけの花入。これほどのごちそうはありませんね。
座敷には、椿を…。
素敵です~。
錦木(にしきぎ)は、椿が映えますね~^^
こんな椿の生菓子がありますよね~美味しそう~。
貴重なきささげです。椿がよく似合います。
赤いのもいいですね(~:~)
蝋梅(ろうばい)は、定番ですね。今ごろ黄色い花が咲いてますね。
今年も山中はくえ様が、茶花の献花をしてくださいましたが、座敷は椿一色でかざってくださいました。12月の初めですから、まだ椿の時期には早く、いろいろご苦労してくださって、毎年、活けていただいております。
本当にありがとうございますm( )m
成道会①
成道会の法要のシーン。
去年の暮れの話ですが…(汗)お釈迦さまのお悟りを讃える、成道会を勤めました。
狩衣を着た若い楽人さんたちです。
今回の成道会には、若い楽人さんが、狩衣(かりぎぬ)を着て、雅楽の演奏をしてくださいました♪
狩衣とは、平安時代以降の公家の普段着だそうです。もともとは狩の時に着用したので この名前がついたそうですが、次第に普段着として定着し、その後、時代を経るに従って公服として着用される時代もあったそうです。華やかでした。
息子たち…。もうちょっと背筋を伸ばせよっ!!
たくさんのお参りありがとうございました^0^/
楽しそう?嬉しそう?家族には、もうちょっと締まった顔をして!と言われます?
お経は、緊張しますが(汗)、お話は楽しいです(嬉)…。
かっこいい~♪
楽人さん!ありがとうございました^^V
お茶会法座(だるま忌)②
茶器は朱色の尻張棗。水指は高取焼の釜形。もうすぐ炉の時期!という趣向で。
黒い水指を壁に見立て、だるまさんの面壁九年の座禅の姿を表してみました…。
わが保育園の子どもたちが遊んでいる姿を考えてみますと…???
最近は、「だ~るまさんが~ころんだっ!!」と、やっております(?o?)
私たちの時代は、「坊さんが~屁をこいだっ!!」でありましたが…いつの間に?
お菓子の銘は、姫だるま。
そういえば、探偵ナイトスクープで昔やってたなぁ~^^v
「坊さん…」は、関西だけだと…。
その関西にも、「だ~るまさん…」が、浸食してきたようで…。
皆さまのところはどうでしょうか…???
お茶会法座(だるま忌)①
待合です。風外慧薫(ふうがいえくん)芦葉達磨図(ろようだるまず)。
本席もいつもの通り、天祐和尚の「不識」。
名残(なごり)の時期ということで、風炉は道仁の鉄欠(やつれ)に、釜は与次郎の鎹(かすがい)の施された阿古陀(あこだ)釜を使いました…。
炉の釜でも使えるビッグサイズの釜です(*0*)
釜の割れを、どデカイ!ホッチキス?のような鎹で何箇所か止めてあり、お湯が漏れないか(汗)心配でしたが、何とか大丈夫でした…。名残の茶は、何かと大変ですね(汗)
水引草にホトトギス、ススキ。花入は李朝の三島。
いつも頭を悩ます茶花は、このたびは自分なりに何とかなった感じです【^0^】V
この虫くいのある葉っぱが、今回のお花の一番のごちそうです(~:~)
いつも拙いことですが、皆さんご参加ありがとうございました(^0^)/
真夏のお茶会法座④
前回に続いて、「見立て」の話なんですが…。
水指の南蛮縄簾(なんばんなわすだれ)も、器体につけられた無数の筋を茶人が、涼しげな簾に見立てたもの…。
平棗(ひらなつめ)も、もともとは昔のお化粧道具のひとつで、蒔絵の施された、白粉溶き(おしろいとき)です。
一水四見の話をしてくれた父が、私が子どものころに教えてくれた歌があります。
今振り返ると、女性差別的な表現が入っておりますので、ご法話などではそのことを説明して紹介するのですが…歌なので聞き覚えているまま紹介いたしますと…「手を打てば/魚(うお)は集まる/鳥逃げる/下女(昔使われていたこの表現は、現在では不適切ですが、今で言うウエイトレスさんです)は答える猿沢の池」というものです。
猿沢の池のすばらしい写真です…。
http://ord.yahoo.co.jp/o/image/SIG=12chppfgi/EXP=1347027429;_ylt=A3JuMF1lsEhQDmAAghOU3uV7/*-http%3A//livedoor.blogimg.jp/cafetom/imgs/0/9/09304b00.jpg*/
猿沢の池(奈良公園にあり、奈良八景のひとつに数えられます)の茶屋で、パン!と手を打てば、池の中の魚は、餌をくれるのかと思い集まり、池周辺の鳥たちは、鉄砲の音と思ったか、びっくりして逃げてしまいます。茶屋のウエイトレスさんは、お客さんが何か注文をするのか思い、「は~い!」と答えた、という歌です…。
一水四見の話を、妙にいい得た歌ですよね~^^V
同じものを見ても、それぞれ感じ方が違う…。それによってお茶道具の選び方や、使い方が、その人によって違ってくる見立ての世界は、案外、こんなところから来ているのかもしれない!と思ったりいたします。
なにせ、茶の湯と仏教は切っても切れない関係にあります。
他の国でのお茶は、薬であったり、寝むけ覚ましであったり、おもてなしであったり…と、とにかく単なる飲み物であったのが、日本では仏教と深いつながりがあったからこそ、茶道という道になったのだと思われます…。
お道具を通じて、ものの見方を教わるのかもしれません。いろいろな考え方があることを知り、それを尊重しながら和していこう、つながっていこうと、教わるのかもしれませんね…。
写真は、赤織部の筒向付です。本来は、右の写真のように、茶事のお料理の向付として作られました。
筒形なので、のぞき込まないと中のお料理が見えないため、通称「のぞき」ともいわれています…。
しかし、のぞきは、その細長い筒形ゆえ、茶人によっていろいろな見立てがなされて来た器であります。上の写真のように、火屋(ほや)をつけると、香炉としても様になります。
また、象牙の蓋などを仕立てますと、小ぶりなのぞきなら、立派な茶器(お抹茶が入る器です)ともなります…。
その辺りは、茶人のセンスが発揮されるところで、それだけに難しいものであり、何でもかんでも見立てりゃそれでいい、というものではなさそうです…。
逆に、下手をすると、センスの悪さがばれてしまいます(*0*)?
その一例を紹介いたしますと…
私などのところなどに来たせいで(汗)せっかくの赤織部は、元々のお茶道具から、ビール杯に成り下がってしまいました…。
センスの悪さを、見事に露呈いたしました(*0*)???
しかし、この赤織部!土味が柔らかいせいか、ビールを注ぐと、その泡が実にきめ細やかで、味がまろやかなんです?
センスが悪い?とおっしゃられても…やめられません~(†0†)
ここは、お道具を通じて、人それぞれの見方がある(~・~)と、尊重しながら、つながっていきましょうね…(^・^)V
真夏のお茶会法座③
絵唐津の向付を、火入に見立てて使ってみました…。
莨入(たばこいれ)も本来、宝珠(ほうじゅ)の形ですが、涼しげに感じていただけるように、雫(しずく)の形として見立ててみました…。
火入にすると、灰を入れるため、残念ながら見込みの鳥の図柄は隠れてしまいましたけれど…。
好き勝手をやっております^0^/
もともとは違う用途で作られたものを、使う者の感覚やアイデアで転用する「見立て」という文化は、日本独特のもののようです…。
どこから来た発想なのだろう…???
仏教にも見立てのようなものの見方があります!
一水四見(いっすいしけん)と言うそうです。
同じものを見ても、見る者によって見え方が違う、というたとえですが、川を流れる水は、人間にとっては単なる水なんですが、天人には、歩くことが出来る水晶の床となり、魚にとっては、もちろん住みかであり、餓鬼(がき)には、燃え上がる血の膿(うみ)の流れに見えるのです…。
本席の床に、天祐和尚の「山はこれ山、水はこれ水」のお言葉をいただきましたが、迷いの目には、水もいろいろに見えるということでしょうか…。
私の父は、学生時代、唯識(ゆいしき)という仏教を学んでいたようですが、一水四見というものの見方は、そのような難しい学問の言葉のようです(-・-);
面白い話ですよね…。「見立て」と何か関連があるような…???
真夏のお茶会法座②
真夏のお茶会を少しでも涼しげに…!!!
ということで、古染付の輪文皿で涼しげにお菓子を差し上げました^^
お菓子の銘は氷室(ひむろ)。氷室とは、今で言えば、冷蔵庫みたいなものだったようで、私の住む神戸の町には、氷室町という地名があります。最近発掘された、平家の屋敷跡からそう離れていない場所ですが、清盛以前からその辺りに氷室があったようです…。
菊水町・雪御所(ゆきのごしょ)・祇園・舞子(清盛がこの浜辺で舞妓を踊らせたという)・須磨・明石などなど…優雅な地名が残っているのは、清盛の福原遷都と関係が深いようです…。
香合は、源氏物語の蒔絵です。須磨の巻と明石の巻の冊子の形になっており、細かな蒔絵が施されております。
明治時代ごろの蚊帳(かや)を袱紗に仕立てました…。
主茶碗は、高麗茶碗で銘は雪の下と付けられております。
濃いグレー色に、青みがかった肌なのですが、口辺から高台にかけて、所々、長石釉が流れて、グレーの肌の上に白く発色しています。
雪の上をザックザック歩くと、雪の下の土色が少し見えるような…そんな光景からイメージされて付けられた銘でしょうか…???
イニシエの茶人が考えた銘の由来を、いろいろ想像してみるのも楽しいですよね。
真夏のお茶会法座①
7月26日…。一番暑い時期にお茶会法座を開催いたしました(汗)
お越しくださったたくさんの皆さま、さぞ、暑苦しかったでしょう(汗)(汗)
7月初めに七夕のお茶会を!と思っておりました。浄土真宗のみ教えから、七夕をどう考えようかな?と思っておりましたが、九州の叔父の満中陰の法事と重なり、空いている日が26日のみでありました…(汗)(汗)(汗)
お越しくださる皆さまに、少しでも涼んでいただくために、使えるものは何でも使おう!ということで、冬に取り合わせるお道具も持ち出して…
待合のお軸は、蓮月尼の歌に富岡鉄斎の画。
淡路島の上にさんさんと雪が降り積もる画讃を、待合に掛けさせていただきました。
蓮月尼の歌は「たちかえり/なにわ菅笠/きてもみん/雪おもしろき/あわじしま山」
大阪湾から菅笠のひさしに手をやりながら、ふと振り返ってみると、珍しいことに淡路島に雪が降りしきっている…。
そんな情景でしょうか?
雪をイメージして、白い刷毛目と全体に青みがかったお茶碗も取り合わせました。
鉄斎の育ての親というか、人生の師というのか、蓮月尼はそんな存在であったようですね。あの西郷隆盛にも真正面から意見をした豪傑でもあったようです…。
優しい字体からは想像もできないのですが…。
優しさと強さ…今でいえば瀬戸内寂聴さんのようなお方だったのでしょうか???
ちなみに私は、甘さと弱さを売りにしております(大汗)
保育園の一泊遠足で、年に2回、淡路にまいります。7月の海水浴と10月のさつまいも掘りです。
それが済んで、1月か2月の園児とのお茶会に、毎年このお軸をかけて、淡路を懐かしむのです…。
今年度は、2回使えそうです…。
ラッキ-(^0^)/
ご支援ありがとうございましたm(_)m ~歎異抄法座&震災支援活動②
ご法座の後、皆さん東日本大震災の支援活動をお手伝いいただきました。
現地で行われている、仮設住宅でのお茶会活動で召し上がっていただく、お菓子(あられ)と紅茶のパックを送る活動です。
やはり一つひとつに、ピーちゃんとパーちゃんの折り紙とお手紙を添えて、送らせていただきます。
本当に皆さんありがとうございました【^0^】/
ご支援ありがとうございましたm(_)m ~歎異抄法座&震災支援活動~①
5月29日(火)に、年3回の法座、せいてん法座歎異抄を開催いたしました。
講師の豊島學由師。お元気です(^/^)/
毎回、豊島先生が歎異抄の大切なところをお話してくださいます。
NHK講座で22年間、歎異抄のお話をしてこられた豊島先生…。いろいろなお話をされて来たことと思いますが、このごろは毎回、「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とのお言葉を味わわれ、喜ばれます。
お説教をしに来ておられるというよりも、親鸞さまのお言葉をいただかれた自らの喜びを伝えに来ておられるという感じです…。
もちろん、それがご法話の原点でありますが、それがご法座の場で実際に出来ているのか?と自分自身を振り返ってみると…なかなかそうはいかないことであります。
本当にうれしそうに、楽しそうに喜びを伝えてくださいます(^0^)V
成道会その②
ここ2~3ヶ月、体調がすぐれず、遅れ遅れになっております^^;
成道会での山中はくえ様のお茶花の献花…。すばらしい花・華・ハナ…の数々。
大根島から取り寄せてくださった、寒牡丹の白と赤。見事でした。
座敷の床には、絵因果経のお軸とともに、古銅の花入に白い寒牡丹。
一方、隣のギャラリーの中心には、高麗青磁の花入に赤い寒牡丹。
どちらも甲乙つけがたく、花入れにもよく合っていました…。
ツバキ色々…^0^/
唐津や李朝の壺を並べ、さまざまな椿をかわいらしく(~・~)!
お菓子は、つるやさんのピンクの椿でした~ とても美味しかったです-^^
他にもたくさんのすばらしいお花で、座敷やギャラリーをしつらえていただきましたが、それはまた、HP上の他の記事の中でさりげなくアップしていきたいと思います…。
成道会その①
絵因果経のお軸に、今年は古銅の花入に白い大根島の寒牡丹(かんぼたん)でした。
お釈迦さまのお悟りを慶ぶ成道会(じょうどうえ)を昨年12月8日に勤めました。
床の間には、お悟りの邪魔をする悪魔をお釈迦さまが降す、降魔成道(ごうまじょうどう)といわれる場面が描かれた絵因果経を、毎年掛けさせていただき、お釈迦さまのお悟りを讃えます。
仏手柑(ぶっしゅかん)や庭のざくろなど…。
座敷の茶花の献花その①
座敷の茶花の献花その②
座敷の茶花の献花その③
ギャラリーの茶花の献花その①
ギャラリーの茶花の献花その②
山中宗伯さまが毎年、たくさんの茶花を成道会の添えてくださいます。
お茶会法座(4月)その壱
4月14日、お茶会法座をいたしました。
当日の本席の床です…^^
保育園の桜で~す(m・m)
まだまだ桜がきれいでしたので、当日は水指に三島唐津を取り合わせました。口辺あたりの象嵌文様が桜の花のように見えます^0^/
三島の文様は、雪・梅・桜などに見立てられて、使えるヤキモノです(~*~)
年度替りの時期でもあり、超多忙で、お茶会法座の準備が大幅に遅れてしまい、開始時間もずれてしまいました(?・?;)
参加者のみなさま、申しわけございませんでした(汗;)
完徹(完全な徹夜のことです…)での準備したが、好きなことをやっているせいか、法座の最中は楽しくて、まったく眠気もありませんでした(変にハイテンションだったかも?)。
法座終了後、保育園の職員会が引き続きあり、終わったのは午後9時過ぎでした…。
さすがに疲れましたが、ご苦労さん!ということで、坊守(ぼうもり…住職の奥さんのこと。ここではうちの嫁さんのことです)とまだいただいてなかった生菓子(お菓子の銘は“爛漫”らんまん)を一緒にいただきました。
ホッとしたのか、お抹茶を一服いただいた瞬間、眠気が襲ってまいりましたzzzzz
その後の記憶はなく、寒さで目覚めたのは朝方でした(-・-)
「しまった~!!布団もなしで、いつの間にか寝てしまっていた!風邪ひいたんとちゃうやろか??え~嫁はんはどこや~?布団も掛けてくれへんかったんか~(*・*)くっそ~なんでや~」と、腹を立てたのちに、すぐに思い出したのが、わずかに2つ残っていた生菓子、爛漫のことであった。「しまった、お菓子もほったらかしで寝てしもたから、カチカチに硬くなってしもたやろなぁ?・?;もったいない」と、二重のショックを受け、菓子鉢に目をやると…
三島唐津の鉢で~す(へ・へ)
菓子鉢にはしっかりラップがされていました~(+:+)
ダンナより生菓子かよ―(*0*)
ここで一句。
「旦那には/布団掛けても/得はなし/お菓子にラップで/明日もおいしい」
お茶会法座(2月)その四
五碗目は、九州の陶芸作家、伊藤明美さんの粉引(こひき…土の黒さを隠すために、白い化粧土を上からかけ、その上にさらに透明の釉薬をかけたやきもの)の汐景(しおげ…普通は塩笥と書きますが、伊藤さんの独自の表現なんだろうと思います^^もともとは、塩を保存した小壺のようですが、お茶の世界に取り入れられました…)形の茶碗です(m・m)
普段使いのうつわです。伊藤さんの自宅兼お店の名は、「うつわや」です…。
伊藤さんは、李朝初期の陶磁器や、桃山時代の唐津焼の雰囲気を大切にしながら、普段使いのうつわを作っておられます。飾るのではなく、使うためのうつわ…!ということに徹しておられます。
河合寛次郎の花文碗、李朝の白磁(堅手)碗との共通点は使う器ということ…(へ・へ)
その伊藤さんの汐景茶碗は、使っているうちに、いつの間にか、程よい“味”がついておりました…。
左は一度も使っていない汐景、右は9ヵ月ほど使った汐景^^/
未使用の同じ茶碗と比べてみると、よくわかるのですが、最初は青みがかっていた茶碗が、いつの間にか赤みがかったクリーム色になり、うつわ自身が柔らかみを帯びてまいりました…。
透明の釉薬がかかってない所が、使うことによって味がつき、よい景色になります*・*
釉薬がかかっていない部分を火間(ひま)といい、そこは特に味がつきやすく、その火間の形によって、素晴らしい景色が浮かび上がってきます(^0^)
この汐景茶碗は、昨年の夏、伊藤さんの展覧会が京都であることを知り、長男が「マグカップが欲しい」といったことをきっかけに出かけ、出逢った碗で、たくさんの中から選んだお気に入りなんです^^
伊藤さんのHPにも自作で気に入った焼け加減の作品を紹介しているページに、私がいただいた碗が載せられているのを最近知りました(HPは、http://www.utuwa-ya.jp です)。
うつわ屋さんのHP掲載のmy汐景茶碗、使用前です(?・?)
使用後です(~・~)
別に無理に味を付けたわけではないんですよ。ただ、日々淡々と使い続けた味わいの世界なんです…。
本願寺の8代門主の蓮如上人に、ある方が尋ねました。「お寺の本堂で仏さまのお話を聞いているときは、ありがたいなぁ~としみじみ思うのですが、家に帰った頃にはすっかり忘れてしまっております。たとえて言えば、籠(かご)で水をすくうようなもので、すくった先から水が籠から漏れるように、聞いた先からお話も忘れてしまいます…どうしたものでしょうか?」と。
そのお尋ねを聞いた上人のお答えがありがたいのです。「籠で水をすくおうとするからもれるのだよ。その籠を水につけよ。ことあるごとに、その身を仏法の水に浸すようにいたしなさい…」とおっしゃられたそうです。
仏法は覚えるものではない、身についてくださるものである、とのお示しでしょうか…。機会があるごとに聞かせていただいていると、仏さまのお慈悲の温もりがいつの間にか身についてくださる…。
一度も水につけたことのない籠と、機会があるごとに100回・200回と水に浸した籠とでは、色つやが違ってくるものである。水をすくえないままに、味わい深い籠に育っていくのである,と気づかされます。
仏法も、覚えずとも聞き続ける間に、聞く姿に味わいが出て来るものでありましょう。難しい仏教用語は忘れても、そこに仏さまの温かさが残っているのではないでしょうか…。
日常使いの伊藤さんのうつわには、そんな故事を思い出させてくださる温もりがあります…。
お茶会法座(2月)その参
現代の若手の陶芸作家さんたちも、「良工、心、独り苦し」という世界を持ち、それぞれ工夫を凝らし、学びを深め、一碗の中に自らを表現しようと苦心されているように思われます…。
2月14日ということで、お菓子はハート型でした^^; 鉢は呉須赤絵の魁文です。
三碗目と四碗目は、友人の村田浩一郎さんの志野筒茶碗を使わせていただきました。
三碗目の志野筒茶碗。上りが白くて柔らかく、手取りもほわっとした感じです…。
同じ種類の茶碗を三碗目、四碗目に使うなんて邪道も甚だしいと思うのですが、お許しください^^;たしかに同じ志野焼の筒茶碗なんですが、全く違うのです。
遠目に見ると同じように見えますし、写真では分かりにくいと思うのですが、手に取った瞬間に、作り手が全く違う意図でこの二碗を作ったことがうかがえます…。
四碗目です。器形に動きがあり、手に取ると手ごわい感じがします…。
じつは、昨年の村田さんの野村美術館での個展で、この二碗に出遇ったんですが、その時は同じような茶碗に見えて、単純に比較してどちらがいいかな?なんて風に見ておりました。
その上で、三碗目に使った方をいただいたのですが、後のちになって「自分はなぜこちらを選んだのだろう?」という疑問がふつふつと沸いてまいりまして、四碗目に使った方を無理を言ってお借りしたのです(まだお借りしたままです^^;村田さんスミマセン…)。
我が家で二碗を並べて、手に取ったり、しげしげと眺めたりしてみますと、片方はやさしく柔らかく作られており、もう一方は、豪快に厳しく作られていることを教えられました…。
ぽてっとした口造り(左側)と薄くてシャープな口造り(右側)
そして、それぞれの作陶の意図に従って、口造りも変えられてあり、高台も違わせていることに気づかされます…。
もちろん一番違いが分かるのが、お茶を点てて、手にとっていただく時であります。
やさしめの高台(左側)とスピード感のある高台(右側)と、変化がつけられている…。
村田さんの作品は、毎年、確実に進化していることに驚かされます。おそらく毎年というより、窯焚きごとに進化しておられるのだろうと想像できます。とにかく研究熱心で、あらゆる陶磁器のこと、お茶のことに通じておられるのです。しかし、おっしゃることは、「勉強すればするほど、作品が小さくなってしまうんです…」と、いつも高上がりすることなく、謙虚に語られ、そこにすばらしい人間性を感じるのです…。
まさに「良工、独り、心苦し」であります…。
お茶会法座(2月)その弐
当日は雪模様で、急きょ、三島唐津の水指を使用し、雪の結晶をイメージしました^^
「良工、心、独り苦し」という黒田辰秋の座右の言葉をテーマに、良工が新たな境地を開く道筋での孤独や、名品に挑む苦心の一端に、想像を馳せようという茶会でした。
主茶碗(おもぢゃわん)は、備前焼の人間国宝、金重陶陽(かねしげとうよう)の緋襷筒茶碗(ひだすきつつぢゃわん)を取り合わせました。
価格のことを言えばいやらしいですが、このお茶碗は陶陽の作品にすれば、かなりの低価格でした。いや、ほとんどお茶碗の値段ではなかった、というのが正しいでしょう(だから買えたのですが^^;)。
陶陽にしては、かなり作為を抑えたと思われる、素直な姿のお茶碗です。
以前、備前焼のプロに見ていただいたら、「まるですし屋の湯呑みじゃ!」と笑われました。なるほど、そういう見方もあるのか~?あっ、それで陶陽さんのお茶碗にしたら安かったのか!と納得いたしました。
しかし、備前焼が大好きになり、陶陽さんに憧れを持つようになって、いろんな本を読んだり、備前の里で、陶陽さんを知る人たちからお話を聞いたりして思うのですが、陶陽さんがわざわざ、同業のプロに笑われるような、すし屋の湯呑みを作るのでしょうか?
私は、このお茶碗の中に、陶陽さんの燃えるようなチャレンジ精神があるのでは?と、勝手な想像をしてしまうのです。古陶磁やいにしえの茶人たちに挑戦状をたたきつけた!とそこまで言ってしまうとテンション上がり過ぎで、ロマンチストから単なる想像バカになってしまうので気をつけなければイケマセン(-・-;)が…。
陶陽さんの作品は、その素晴らしさを認める評論家からの、あえて出される厳しい評価として「誰にも負けない技術があるがゆえに、やり過ぎるきらいがある…」ということがよくいわれます。ご自分でもそのようなことをおっしゃられたと、地元で耳にしたことがあります。
しかし、展覧会や本に掲載されるために選ばれる作品は、やはり、豪快な造形や厳しいへら目などの作為があるモノや、素晴らしい窯変(ようへん…窯の中での焼き色の変化のことです)が出たモノが中心となります。世間の人たちもそんな作品を期待し、ご本人も天性の才能の上に誰にも負けない努力を重ね、燃えるような作陶意欲で他の追随を許さない作品を生み出していったのでしょう…。
まっ赤な緋色が出た側面です。離れて見ると、素朴な赤楽茶碗に見えます(~・~)
しかし、そんな縦横無尽の技術を駆使した作陶の中で、自分に対する厳しい評価にもうなずきながら、燃えるような主張を潜め、あえて茶の湯にかなう静かなお茶碗に挑戦したのが、この作品ではないかと考えるのです。
すし屋の湯呑みなんてとんでもない!!!すっきりした高台に、うわぐすりをかけない備前の茶碗は堅い!といわれる批判を考えてか、腰から口辺までのろくろを柔らかい曲線に仕上げ、口造りにわずかな変化がつけられています。
形がシンプルな分、緋色をふんだんに出し、退屈なお茶碗にならないよう良く考えられています。
つまり、何にもない茶碗に見せるために、高い技術と茶の湯に対する深い見識が、目一杯込められていると感じるのです。こういうモノに「お茶がある!」という表現が使われてもいいんじゃないでしょうか…。
ここまで言うと逆に、私の勝手な勘違いでは?と怖くなります(-・-;)
しかし、取り合わせてみると、素朴なふりをしている分、古い茶道具とよく合うのです。私はこの茶碗に出遇って、陶陽さんは恐ろしいなぁ…と正直、思いました。
そして、「良工、心、独り苦し」を感じました…。
千利休の時代に尊ばれた、高麗筒茶碗、狂言袴(きょうげんばかま)
やはり利休時代と考えられている、唐津筒茶碗。
この二つの茶碗あたりの素朴さが、モデルかなぁ???
お茶会法座(2月)その壱
2月14日(月)のお茶会法座は、床に黒田辰秋の書を掛けました…。
黒田辰秋は、木工芸の人間国宝ですから、書は余技ということになります。上手な見やすい字ではないかも知れませんが、何かを感じさせてくれる書であります。
この「更覚良工心獨苦」(更に覚ゆる、良工、心独り苦し)という言葉は、杜甫か李白の詩の一節だそうです(はっきり調べられなくてスミマセン)。もともとは富岡鉄斎が書いたものがあるそうで、それを知った辰秋は、当時、病気療養中にもかかわらず、病院を抜け出し、鉄斎の書を求めたそうであります。
その後、この鉄斎の書を工房に掛け、座右の銘としたようです。
辰秋自身も好んで書いたようで、時々、雑誌や何かで見かけることです…。
言葉の意味はどういうことでしょうか?「更に覚ゆる」とは、“よくよく考えればそうであるなぁ“ぐらいの意味でしょうか?
「良工、心独り苦し」とは、“腕の良い職人ほど、すばらしいモノ作りをするための苦労や、新しい世界を切り開くにあたっての孤独を抱えているものだ”というようなことでしょう…。「お手手つないで仲よく…」だけではたどり着けない、厳しい世界なのでしょう。
香合は、交趾の梅とウグイス。インドネシアのスラウェシ島からのもの。伝世品にはないスタイル。
今回のお茶会法座は、辰秋がこの書を工房に掛けてモノ作りをした姿を思い浮かべながら、陶芸家などの現代作家が、どのような苦心の末に作品を生み出しておられるのかを、勝手に想像しながら(勝手な想像ですから、みなさん、気を悪くしないでくださいネ^^;)取り合わせやお話をさせていただきました…。
花入は、備前焼の金重素山(かねしげそざん)。花は、ボケに椿。
金重素山は、私の大好きな陶芸家です^^/ 備前焼の中興の祖とたたえられる金重陶陽の弟で、百年に一度出るかどうかの天才といわれた兄を、陰で黒子のように支えた人であったそうです。ですから、陶芸家として独立したのは、50代半ばであったそうですが、陶陽を陰で支えながら、その技を自然に吸収していたのでしょうか、その作品はすばらしいです。
今まで備前では、陶陽を含め5人のすばらしい人間国宝を生み出しておられますが(素山は選ばれておりません)、その国宝たちを差し置いて、兄、陶陽に次いで、備前ではナンバー2の位置を不動のものとしております。
その素山の語録に「ろくろは七分で止めておけ!」というのがあります。ろくろを引けば引くほど、人間の汚いものが作品にでるから、ほどほどにしておけ!といわれるのです。
つまり、“よいものを作って世の中に認められたい!そして裕福になりたい!”という人間の基本的な欲望が、作品に手を加えれば加えるほど、いやらしさとして表れる、ということなのでありましょう。
この欲望を、仏教では名聞(みょうもん)・利養(りよう)と申します。二つ合わせて、名利(みょうり)とも申します。名聞は“有名になりたい“、利養は“お金持ちになりたい”と言い換えてもいいかと思います。
そのこと自体は、世間で悪いこととは考えられていないわけですが、名利を達成するために、つい、汚い考えや行動が起こりやすいということを、お釈迦さまは教えて下さっているのです。
素山も作陶を通じて、そういう境地に至られたのかな?と思うと、お経の文句を勉強することだけが仏教ではない、生活や仕事と離れた仏教などない、と教えられます…。
陶陽亡き後の備前の地で、嫌われ役を演じて、若い陶芸家たちに、土に感謝して作陶することを言い続けた御大であったようです。
まさに、「良工、心独り苦し」を生きた人であります…。
豆まき本番(保育園の子供たちと)
今年の鬼さんは~??????
嫁おどしの面をかぶった、通称、吉崎の鬼でした~‘・’
保育園始まって以来、初めての女性の鬼さんに、子どもたちはビックリ!!!
今年一番勇敢だった赤ぐみさん(^0^)/ 3歳児クラスです!良く腕が振れていました??
嫁おどしの面とは、本願寺の8代、蓮如上人(本堂内陣の左側に掛っているお軸のお坊さまです)が福井県の吉崎御坊におられた時のころ、いつも御坊に上人のお説法を聞きに行っていたお嫁さんに腹を立てた姑が、御坊からの帰り道に鬼の面をかぶって待ち伏せをして、お嫁さんをおどしたという話です。その後、鬼の面は、姑の顔から離れず引っ付いてしまったそうです。
こまった姑は、お嫁さんに連れられて、蓮如上人のお説法を聞いて感動すると、たちまち顔からお面が取れた、という話です…。
お面が取れた時、顔の肉がお面に残ったのでしょうか?そのお面は、今でも吉崎御坊に伝えられ、「肉付きの面」と呼ばれております(怖~)
さてさて、来年はどんな鬼がやってくることやら…???
豆まき茶会(保育園の子供たちと…)
大津絵(鬼の念仏)の軸に、南蛮(沖縄)の鬼の腕の花入。
当園では、豆まきの前に、年長さんと豆まき茶会をいたします。
このごろは、毎年、違う鬼さんがやってまいります。去年は、茶席のお軸の大津絵の鬼がやってきました(?・?)
墨の衣を着て、太鼓をたたきながらやってきました!!通称、琵琶湖の鬼さんです??
大津絵とは、江戸時代の大津街道沿いで売っていた土産物です。いろんな種類の絵があるのですが、その多くが当時の世間を皮肉った風刺画です。
鬼の念仏とは、実はお坊さんを皮肉った絵だそうです(-・-;)絵の中に歌が書かれているものもあります。ちなみに紹介いたしますと…「慈悲もなく/情けもなくて/墨染の/心の鬼が/あらわれにける」なんてのがあります。姿は坊さんでも、中身は鬼のようだと.な・な・何となく思い当たる節が…(+・+;)
お菓子は、お豆さんです。
節分に豆をまくのは、魔滅(まめつ)。つまり魔が滅するということにつながるらしいです(~:~)
鬼は外!とまきますが、ホントは、心のうちに鬼を抱えていたことに気づかされるのが、豆まきでありたいと思うのです…。
今年はどんな鬼がやってくるのか…?子供たちが、そんな噂をしながらのお茶会でした(怖~)
鬼の腕!!なんて怖い名前の花入ですよね~ =・=;
成道会を行いました!
法要の様子です。三人の先輩が、雅楽も奏でてくださいました(^0^)
昨年の12月8日(水)に、お釈迦さまのお悟りを讃える、成道会を勤めました。
お勤めの後、丁度、お釈迦さまが、悟りの邪魔をしようとする魔王を降す「降魔成道」(ごうまじょうどう)の場面が描かれた絵因果経のお話をいたしました。魔王といっても、地獄にいるのではなく、じつは第六天という天上界の王なんです。お釈迦さまが悟りを開いて仏になると、天上界の自分を超えてしまうので、これからは何でも自分の思い通りにいかなくなると考え、魔王は悟りの邪魔をするのです。
ある意味で、この場面は、お釈迦さまの心のうちの葛藤をあらわしているのかもしれません。
真実の教えに出遇うことによって、今までの私のありようが見直されていきます。他人のことをかえりみず、好き勝手に生きてきた自分の姿が浮き彫りになり、そういう生き方を続けたい欲望と、出遇った教えに沿って生きようとする想いとが、ぶつかり合った心の葛藤を描いているのではないでしょうか?お釈迦さまにはお釈迦さまの境地で、私には私のレベルで、それぞれその葛藤があるということでしょう(私はかなり、今までの自分を続けたい欲望にズルズル引きずられているような気がいたします。その証拠に、歩けばズルズルと音が聞こえます…恥)。
絵因果経に猿投の経筒、蓮華で、床の間を飾りました。
法話の後は、座敷に移動していただき、床の間の絵因果経を実際に見ていただきながら、お抹茶を一服さしあげて、山中宗伯さまの献花(茶花展)を楽しんでいただきました…。
蝋梅(ろうばい)にわび助(*・*)
きささげにせいひ椿(~;~)
錦木(にしきぎ)に葉ボタン(^:^)
水仙にヤブコウジ(・*・) 花入は備前の徳利!
わび助(^-^) 絵唐津の水指!!
大根島の寒牡丹(かんぼたん) レアものだそうです(+・+) 高麗青磁
↓↓↓↓↓
次の日にはこうなりました(*!*)
座敷その①
座敷その②
ギャラリーです。
毎年やっておりま~す(^-^)次回は、皆さまぜひ、来てくださ-い!!
お茶会法座(だるま忌)その参
達磨大師と梁の武帝の問答には、私ごときでは汲みとることのできない“深さ”があるのですが、学びの浅い私にも大切なことを教えてくれる問答だと思っております…。
洞窟の壁に向かって大師が座禅を組んだことを想像し、コウモリの釜を取り合わせました。
どこまでいっても、私の勝手な味わいとなりますが、お許しください(^-^)
達磨大師を目の前にした武帝は、まず、大師に「仏教で一番大切なもの(聖なるもの)とは何だ?」と尋ねました。
大師は、『廓然無聖(かくねんむしょう)』と答えたそうです。
それは、“雲ひとつなく、どこまでも広がる青空のようにカラッとして、聖なるものなど何もない”というぐらいの意味のようです。
私は思うのですが、一番大切なものを言葉にしてしまうと、武帝がその言葉にとらわれてしまうことを、大師は恐れたのではないでしょうか?時々の状況によって一番大切なものは常に変わりますよね。
次に武帝は、「私は今までに、たくさんの僧侶を養成し、写経をし、お寺を建て、仏教興隆のために力を尽くしてきた。そんな私にはどれほどの功徳があるか?」と、大師に尋ねます。
大師は一言、『無功徳!』と答えたそうです。
無功徳とは、単に“功徳がない”ということではないように思います。武帝は、仏心天子と呼ばれ、仏教を大事にした天子さまと敬われていたのですから、ある意味で、すでに功徳をいただかれていたともいえると思うのです…。
しかし、大師が云わんとすることは、功徳を当てにして行ったことは、どれだけ見た目が仏教的なことを営んでいても、それはもはや仏教ではない!ということではないだろうかと思うのです。しかし、武帝にはその真意は伝わらなかったようです…。
相当頭に来ていたであろう武帝は、最後に大師に向かって「私の目の前にいるお前は、いったい何者だ!」と、尋ねます。
大師はまたも一言、『不識』と答えたそうです…。
だるま忌では、大徳寺169世、天祐和尚筆の横物『不識』を掛けます。
大国の王に“お前は誰だ”と尋ねられ、“知らん”と答えたというのです。
一説には、殺されかけた大師が、それを察知して、芦の葉っぱに乗って、揚子江を北上して魏の国に去ったともいわれます(芦葉達磨図は、だるま忌その弐を参照)。
その後、魏の国の少林寺に入り、壁に向かって9年間座禅を組み、手足が腐ってもやめなかったことから、不倒不屈、七転び八起きのだるまさんが誕生するのですが、私の勝手な解釈で想像をしてみますと、ひょっとして達磨大師は、「武帝に“不識”とは言ったものの、本当に私とはいったい何者であろう?これが一番難しい…。これを解決せねば死ぬに死に切れん!武帝など相手にしている場合ではなかった」と悟り、自分という壁と9年間向き合ったのでないかと考えるのです…。
自分という漆黒の闇(黒唐津の水指)と向き合う達磨さん(尻張赤棗)
そうすると、面壁9年といいますが、達磨大師にとっては、案外、あっという間の出来事だったのかもしれません…。
お茶会法座(だるま忌)その弐
だるま忌のお茶会法座は、インドの達磨大師(5~6世紀、お釈迦さまから数えて28代目の祖師と伝えられています)のお命日(10月5日)近くに、行っております。
法話は、本堂で1時間ほどいたします。その間、釜の湯加減が気になります…。
親鸞聖人が、慕われた七高僧の一人、中国の曇鸞大師(どんらんだいし・476~542)は、達磨大師と同時代を生きたお方です。
当時、中国は、南部が梁(りょう)という国で、「仏心天子」と呼ばれた武帝という王が治めておりました。武帝は、曇鸞大師を尊敬し、「鸞菩薩」と讃え、大師がおられる方向を常に拝まれたと伝えられています。
ですから、浄土真宗の流れをくむ私たちは、梁の武帝といえば、仏教を護持し、発展させた偉大な王さま!というイメージだったのですが…(-・-)
達磨さんとの問答では、仏心天子と呼ばれているが、教えを語るまでもない王さま!として登場いたします。ちょっとショックです(*・*)
みなさん、拙い話に、毎度、熱心につき合ってくださいます(^-^)
問答の後、ここに居てもしょうがない、と思われたのか、達磨大師は梁の国を去って、北部の魏(ぎ)の国の少林寺に入り、壁に向かって9年、座禅を組んだと伝えられています。9年の間、手足が腐っても座禅をやめなかった不倒不屈の精神が、七転び八起きのまっ赤な達磨さんとして、後に、日本で親しまれるようになったのです。
ちなみに、魏の国に向かう時、芦の葉っぱに乗って揚子江を北上したという伝説があり、その姿が、剣豪宮本武蔵にも描かれ、芦葉達磨図(ろようだるまず)と呼ばれています。
今年のだるま忌には、待合のお軸には、穴風外と呼ばれ、穴の中で暮らしながら修業をし、庶民に禅画を描き与え続けた奇僧、風外和尚の芦葉達磨図を掛けました。
風外和尚筆 芦葉達磨図
達磨さんと梁の武帝の問答は、次回ということで…。
お茶会法座(だるま忌)その壱
風外和尚筆『芦葉達磨図』(ろようだるまず)
9月4日(土)にお茶会法座を開催いたしました。
お茶会法座とは、お茶会と法座です(説明になっていませんよね…汗)。
お茶席(といっても座敷ですが)に、法話の題材になるようなお軸やお道具を取り合わせます。本堂にて1時間ほど会記の説明などを兼ねた法話を聞いていただき、私(住職)がお点前(薮内流です…初心者です…汗)をさせていただき、一服のお抹茶のなかに、仏さまの心を感じていただこうという会です。
茶の湯は、古くから日本の文化の代表として親しまれ、お説法も古来から仏教国日本で、多くの人々のよりどころとして、親しまれてきました。
禅宗では茶禅一味といわれ、われわれの本山である西本願寺も、藪内流の代々と親しく茶の湯にかかわってきた歴史があります。
仏教と茶は深い関係にあるのです。ですが案外、両者が一つとなった催しは少ないのでは?と思ったのがきっかけです。法話の材料となる掛け軸や気のきいた銘の茶杓などを探し、お茶の稽古にも通いつつ、最初の構想から考えてみると、始めるまでに10年かかりました(何か苦労したわけではなく、実際は10年間楽しんできただけですが…)。
今年は、5・7・9月と3回開催しましたが、、3回とも、袴を破ってしまいました。それも同じ出っ張りにひっかけて…。そのたびにご参加くださるお茶の先生に、持ち帰っていただき、縫っていただきました(3連続ですから、ホント落ち込みました)。「私の縫い方が悪かったのかな?」と不思議に思われ、申し訳なさで、余計に落ち込みました…。
そんな風に、お茶の心や所作に、ちょっと欠けた所がありますし、平点前しかできませんし(本当は平点前がきっちり出来るということは大変なことで、とてもその域には及びもつきません…汗)、細かい約束事も身につけておりません。ただ、ご門徒さんには茶の湯の楽しさを、茶の湯の方には仏教の素晴らしさを紹介したい!という思いでやっております。