つぶやき

つぶやき


雲仙普賢岳のふもとのお寺さんに伺いました~^^


 雲仙普賢岳。扇面状に広がった平野の先は有明海…。


 お茶室が講師の休む部屋でした。


 躙り口から眺める庭は絶景でした^^v

 ご縁があって、長崎県島原の妙行寺さんにお話に伺いました…。
 普賢岳の噴火のお話…隠れキリシタンのお話…明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく…明治政府による仏教弾圧)のお話…育てておられる牡丹のお話…などなど、とても有意義に過ごさせていただきました。硫黄たっぷりの雲仙の温泉(気持ちよかったです^^)、この地域の家庭で作られる甘味満載の新玉ねぎのドレッシング、六べえとよばれるモチモチした麺や腰のある島原そうめん…。暖かい婦人会の皆さまにお接待され、有り難いご縁でした。


左真ん中が玉ねぎドレッシング、右下が六べえ。


庭のアジサイと仏さま。


とってもかわいらしい仏さまなんです(~・~)v


 お庭の仏さま方は、首をかしげてとてもかわいらしいお姿と感じたのですが、実は廃仏毀釈でみんな首をはねられたとのことでした。隣のお墓のお地蔵さんもみんなそうでした。火山や廃仏、島原の乱など、さまざまなことを乗り越えた長崎の、お念仏が盛んなお寺さまでした。
 とてもありがたく、尊いご縁をいただきました…。

ふたり~道の記
     村田浩一郎・清美 茶垸展②


去年いただいた志野のお茶垸の風呂敷です^0^清美さんセレクトです~


風呂敷を開けると…清美さん作成の仕服…


中身のお茶垸です…V


一昨年いただいた、井戸茶垸です^^ 風呂敷をほどくと… 


いろいろと入ってて、村田さんの作品に対する想いが伝わってきます…


いつ見ても良い井戸茶垸です…


 お茶垸を包み込む仕服は、村田さんの仕事を理解して支え、村田さんの悩みや不安を包み込む…そんな清美さんのおおらかな優しさのように感じております…。

 野村美術館ホームページ http://www.nomura-museum.or.jp/

ふたり~道の記
     村田浩一郎・清美 茶垸展①


村田さんの野村美術館での展覧会のDM(ダイレクトメール)です^^V

 今年もめぐってきました~

 村田浩一郎さんの野村美術館での展覧会です^0^/

 ちょっと照れてしまいますけど…「ふたり~道の記」と題した展覧会です…。村田さんの茶?と、奥さま清美さんが作る仕服(お茶碗に着せる服のようなものです…)のコラボ展となっております。

 繊細(常に自分と向き合って、戦っておられます)な村田さんと、おおらかな(天然入ってます~^0^)清美さんの歩んできた道のりということでしょうか…?


どうぞ、お越しください~^0^/


 とにかくベストなお連れ合いです…。

 野村美術館ホームページ http://www.nomura-museum.or.jp/

イタリアン茶事やってみました~♪③


お口直しは、絵唐津の輪花向付にバジルのシャーベット!サッパリ!


 「みのり茶事」の名称の由来は、仏さまのみ教えのことを、お法(おみのり)と表現するところから、いただいております。お法を聞かせていただき、実り多き人生とさせていただく、という意味も込めております…。


八寸は、トリ貝・チーズ・ウド。薮内流は海・里・山の三種を盛ります。


 お経の中の真実という言葉の「実」という字の左側に、親鸞さまは「モノノミトナル」と、ご自身の味わいを筆にされております…。
 仏教の真実とは何か…?
 親鸞さまは、少なくとも「こちらの方が正しい!こっちこそが真実だ!」というような感覚で、仏さまの教えを喜ばれたのではないのでしょう。
 ここでは、「モノ」とは私のことで、「ミトナル」とは、身となる、とか、実となる、という意味が込められていることだろうと思います。


湯桶の代わりをリゾットで…。古染付の皿がよく似合っていました^^v


 つまり、仏さまの真実とは、常に、この娑婆の世界で、苦しみや悲しみを避けて通ることのできない私の身になって物事を考え、そんな私を支え、実りのある人生を送ってくれよと、説いてくださったお法のことをいうのでしょう…。

 「みのり茶事」は、そんな仏さまのお心を、少しでもお伝えする場所となるよう、精進していきたいと思っております…。

 お問い合わせは、info@koumyouji.org まで。

イタリアン茶事やってみました~♪②


シェフ手作りのパン。元禄時代にヨーロッパに輸出された伊万里がよく似合います。


 お茶会法座では、毎回、1時間ほど法話をさせていただきます。  最初は、そのあと、お席に入っていただき、お茶を差し上げていたのですが、ご参加の人数が増えてくださったことと、一般のお方がお茶の先生方と同じ席になると、敷居が高く感じられるようで(先生方は、みんな楽しくて、やさしくて、素晴らしい方々ばかりなのですよ~ホントに…でも、お茶をされてないお方々には、緊張の場になるのもわかります…)、今では、法話の前に先生方のお席を一席、法話の後は、一般の方の席をもう一席させていただいております。


あさりとエビのブイヤベース♪すごくスープが美味しいのです~(^0^)/


 しかし、お茶会法座では、私が一方的にお話をさせていただきますし、たくさんの方で、お話の後でもう一席、となりますので、ご挨拶もろくにできず、ご質問をいただくこともできません。一方通行なのです…。
 それはそれで、尊いご縁でありますので、これからも続けさせていただくとして、少人数でお招きして、会話が成立する「みのり茶事」を重ねていく中で、お一人おひとりと、もっと深まりのあるご縁もつないでいきたいと考えております…。

 お問い合わせは、info@koumyouji.org まで。

イタリアン茶事やってみました~♪①


旬のオコゼのカルパッチョ、冷製カッペリーニ、スープはミネストローネ♪


 ペルドマーニhttp://perdomani.comのシェフをお迎えして、イタリアン茶事をやってみました~♪


小さなシューの中には、サザエが…。サクサク・ホカホカで美味しかったです。


 拙寺では、お茶会法座という、法話と大寄せの茶会を引っ付けた法座を続けております。
 最初は、お茶屋さん、お茶道具屋さん、仏具屋さんなどに案内のチラシを置いていただ き、お茶のこともよくわからないまま、始めたようなことでした。今から考えると、恥ず かしいことばかりで、それは今も変わらないのですが、当時は、恥をかいていることすら 気づいていなかったのですから…(汗)
 しかし、毎回、お茶の先生方がたくさんお越しくださり、暖かいまなざしで、熱心につ たない法話に耳を傾けてくださり、今日まで続けさせていただいております。
 本当に、有り難いことであります…。


香ばしいスズキの焼き物です。器は、安南染付鉢です。


 定着して、お茶好きのお方がお見えくださるようになり、皆さまともう少し、お近づきになりたい!との思いもあり、お茶事の勉強もしてみたい思いもあり、このたび、「みのり茶事」という名称で、お茶事と法話の会をさせていただくこととなりました。
 もちろん、和の茶懐石を基本としておりますが、瀬戸内の美味しいお魚を中心に、イタリア料理を作られるペルドマーニのお料理も、きっと、茶事に相応しいはず!との思いで、お客さまのご意見をいただきながら、シェフとあれこれ相談しながら、より良いものを目指してまいります…。

 どうぞよろしくお願いいたします~♪♪♪

 お問い合わせは、info@koumyouji.org まで。

村田浩一郎さん作陶25周年記念②

藤田美術館展ならびに
桃山及び現代を代表する作家展のご案内


藤田美術館展(梅田阪急百貨店9階)チラシです。

 もうひとつのご案内となりますが、チラシのように、梅田の阪急百貨店の9階で、藤田美術館の名品が公開されます(有料、800円です)。谷松屋戸田商店さんのセレクトです。


15代楽さんや、黒田泰蔵さんが選ばれています。       


村田さんの作品が、桃山時代の茶陶とともに展示されます~(^0^)/

 また、7階では、名門茶道具商、戸田商店のご主人が選んだ桃山時代の茶道具と、現代作家の作品が展示されます(こちらは展観自由です)
 現代作家の一人に、村田浩一郎さんも選ばれており、その作品が展示されますので、併せてご案内させていただきます。

村田さんの青井戸茶垸の高台です。素敵でしょ~♪

村田浩一郎さん作陶25周年記念茶陶展

陶志随想(とうしずいそう) 垸葉集(わんようしゅう)― ご案内


村田さんの作品、鼠志野(ねずみしの)茶垸。銘は「瓢仙人」。自然に歪んだそうです…。

 さて、いつも拙寺のお茶会法座にお越しくださる、友人の陶工、村田浩一郎さんが、今年で作陶生活25周年を迎えられ、姫路の圓山記念・日本工藝美術館にて、展覧会を開催されることとなりました。
 その会期中の催しとして、今月26日(日)に、「お茶会座談」という名で、講演(午後1時30分~)と、お茶会(午前10時~午後5時前)をさせていただくこととなりました。講演では、村田さんのお人柄やエピソード・作品のお話を中心に、仏教やお茶のお話をさせていただきます。


瀬戸黒茶垸、銘は「夜雨」。お茶席の主茶?として使わせていただきます…♪♪♪

 また、お茶席では、茶陶はすべて村田さんの作品で取り合わせをし、実際に手に取って、お抹茶を一服味わっていただきたいと思います。ぜひ、お越しくださいませ。
 お茶券は500円で別売となっており、東日本大震災の義捐金とさせていただきます。                     


黄瀬戸の香合です。

 講演会後のお茶席は、込み合うおそれがありますので、早めにお越しいただき、お席で一服召し上がっていただいてから、展覧会や講演会をお楽しみいただくことをお勧めいたします。どうぞよろしくお願いいたします。


   ご案内のDMで~す!


DMの裏面。会期中の催しです(^・^)

DMの裏面その2。美術館の場所の案内です。琴丘高校の隣です^^V

お待ちしておりま~す!!

年賀状HP26年 良工心独り苦し

・本年もよろしくお願いいたします

 今年の正月は、村田さんの茶陶づくしです…。

良工(りょうこう)(こころ)(ひと)(くる)し(杜甫(とほ)())

 素晴らしいものを生み出す良工ほど、孤独をかかえているものである…。

 床の間のお軸は、木工芸の人間国宝、黒田辰秋の晩年の書です。辰秋は、自身の工房に、この言葉を書いた富岡鉄斎の書を掛けていたそうであります。

 床の掛け軸の言葉のように、何かを為すために伴う孤独に、耐えうる一年でありたいと思います。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

山西昭義・節・優(高3)・蓮(高1)・樹(中2)

伊藤明美陶展②

 今回の伊藤さんの展覧会は、「明器の形を生活の場に」というテーマだそうである…。

 ハガキの中央右の白い器がそれであろうか?明器とは、お墓に埋葬した器だと聞いている。お墓に埋葬?と聞いて、嫌がられる方もあるようだが、小さくてかわいいものが多い。

小さめの酒盃になるものも多い^0^/


実用的ではないが、ちっちゃな碗や徳利。次の世界でも幸せに…との願いか?


これも明器。お茶では、お香合にも使える。

 どんな新作が出るのか…?楽しみである。
川口美術ホームページ→ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kawabi/

伊藤明美陶展


伊藤さんの展覧会のご案内ハガキとその作品と李朝陶磁器の明器たち…

 福岡の陶家、伊藤明美さんも京都の川口美術開業20周年記念催事に行われます^^


伊藤さんの18番!粉引汐景(こひきしおげ)碗です。

 伊藤さん自身、古陶磁のコレクターでもあり、古い焼き物の良さを知る陶芸家さんです。
 陶芸家というよりは、「うつわやさん」というにふさわしく、お客さんに使っていただく器を日々焼かれております…。

 川口美術さんのご案内ハガキを見ますと、「伊藤さんが、先輩と話してる所に居合わせました。お茶碗にしては安価すぎるので、値を上げてはとの言に、彼女はお客さんに使っていただきたいので値は上げたくありません。箱を付け、風呂敷を作り添えているのも、お客様に持って頂く為ですから…と答えられて居られました。お客様に買って、持って使って頂くことへの強い信念を感じた会話でした…」と、川口美術のご主人が、綴っておられました。


我が家のご飯茶わんは、伊藤さんの鎬(しのぎ)碗を使っております。

 使う側の立場に立った、工夫があちこちにみられ、そのうえで、イニシエの李朝の陶工のスピリッツを追い求める、稀有なる女流(趣味はおっさんです^^;)陶工です…。

 2013年12月4日(水)~8日(日)午前11時~午後6時 川口美術にて
川口美術のホームページ→http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kawabi/

志 こころざし 村田浩一郎茶垸展④

 いただくことになったお茶垸は、一部、州浜形のように歪みがあります。

 その歪みが、とても自然な感じで、後から手を加えて歪ませた感じがどこにもないのです。
 その辺をお聞きすると、轆轤を引いた後に、自然と歪んだのだそうです。なるほど…他の茶垸につけられた口辺の変化とは、そこが違うのか…と納得いたしました。ホントに変化をつけたという感じではなく、土が動き出した…?という感じなんです。


織部の影響を受けて、意識的に歪みをつけた高取沓茶碗。これも好きです^^


遠州の影響で少し歪みをつけたものが、窯の中でさらに歪み、面白くなった備前。


窯の中で、自然に歪んだ李朝の白磁碗。

 歪ませた、または、土が動いてひずんだお茶垸をよろこぶ文化は、日本の茶の湯の独特のものかと思われます。
 しかし、李朝の古いところの陶磁器に、自然と歪んだものが多くみられるように思うの ですが…。織部が、それらからヒントを得て、沓茶垸が生み出されたのかもしれません…?

 あくまでも、ど素人の想像ですよ…^^;

 儒教文化の当時の朝鮮の人々が、歪んだものやシミが入ったものを好んだとは思われません。李朝の日常の器の中に、その土や釉薬の粗雑さゆえにそのようになったものを、好んで取り上げ、高麗茶垸としてよろこんだ、いにしえの日本の茶人って、変わり者ですよねぇ~^^/

 今、根津美術館で展示されている井戸茶垸も、李朝の陶工が轆轤をひねったというだけでは、現在の世に伝わったとは思われません。見出す人があったからこそですよね…。

 村田さんの歪み志野を見出したのは僕???

 初日の午前中に行った甲斐がありました…^0^V

志 こころざし 村田浩一郎茶垸展③

 村田さんの茶垸展に行って来ました…。

 志野のお茶垸と聞いていましたが、良い意味で期待を裏切られました。


以前、いただいた志野茶垸。これも柔らかくていいですよ~^^

 以前いただいたお茶垸のように、柔らかいモグサ土に、雪のように白く、奥行きのある志野…。その柔らかさに、より磨きをかけたような作品を作られるのだろう…というイメージで伺いました。

 が、まずは鼠志野一本!という、想像にない作品が並んでいました。そして、十牛図という、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したものがありますが、その牛がお茶垸と差し替わっての物語のある展示…。

 形としては、今までにない感じの、キュッと締まった小ぶりな形のものに目が行きました。バランスがとても心地よかったです^0^/

 大ぶりなものは、今までのゴツッとした迫力のものから、轆轤でのびやかに引き上げられた感じのもの…。案内のハガキに掲載された茶垸はとくにそんな感じでした。

 また、中にはあがりが、ラスター彩のような金彩志野茶垸といった感じのものもありました。

 村田さんが、"茶垸"と表現されるように、土にこだわられ、あえて志野特有のモグサ土ではなくて、須恵器のような感じもある、カリッとよく締まった焼きで、土味も良いものでした。

 今回、わたしは、小ぶりでバランスの良い茶垸に魅かれ、その中で特に気に入って、選んでいた幾つかの茶垸を手に取らせていただきました。

 手に取った瞬間に、いただくものが決まりました。やはり、お茶垸は手取りですよねぇ~
 古陶磁のような焼き締まった手取りで、しかも、良く焼き締まっているのに、釉薬の調子がとても柔らかなんです。いただく約束をしたものは、そこがとくに際立っておりました。

 奥さまに仕服の作成もお願いいたしました…。早く、一服いただきたいです。

志 こころざし 村田浩一郎茶垸展②


保育園の礼拝では、下手な絵を描きながら、お話をいたします^^;

 今日18日の月曜日は、保育園の礼拝がありました…。

 お話は、北風と太陽です^^

 北風が太陽に、言いました。「あの旅人のコートを、どちらが脱がすことができるか勝負をしよう…」

 「北風君からどうぞ」

 「よ~し!ぶう~~~~ぶう~~~~~ぶう~~~~~」

 旅人は、コートをおさえて、脱げないようにがんばりました。

「だめだ~」 北風は疲れて、音をあげてしまいました↘↘↘

 「北風くん、僕がやってみようか…」



 太陽がポカポカ照らし出すと、旅人は汗をかき出しました。

 「暑い、暑い…!」

 そして、さっきまで脱げないようにおさえていたコートを脱ぎ始めました…。

おおらかでやさしい、村田さんの奥高麗です(~・~)

 村田さんはこんな太陽のような人です…。

 やさしくおだやかで、強引なところが一つもありません。

 その村田浩一郎さんの「志 こころざし」茶垸展…。楽しみです。

    野村美術館ホームページ http://www.nomura-museum.or.jp/

志 こころざし 村田浩一郎茶垸展


以前いただいた無地志野のお茶碗です^^


自然あふれる、たつの市新宮。

 今年の10月に初めて、村田さんのお宅を訪ねました…。

鹿が多いので、田畑を荒らさないようにでしょうか、柵が延々と続いてます。

 山々がきれいな、自然あふれるところで、数々の作品が生み出されていたのですね。

 手作りのお茶室にて、村田さんらしい田舎料理をいただき、好きなお茶碗を選ばせていただき、一客一亭のお茶を頂戴しました。とてもおいしかったです。感謝…。


帰りにススキをもらって帰りました~^0^V

 今月(11月)19日から24日まで、野村美術館で恒例となった、村田さんの展覧会が開催されます。

 「志 こころざし」 と名付けられた展覧会のご案内をいただきました。


手になじみの良い、鼠(ねずみ)志野です…。

 楽しみです…。今までの村田さんは、何か「志 こころざし」というような感じのものを、内に秘めてこられたように感じるのは、決して私だけではないと思うのです。

 どんな「志 こころざし」を感じさせてくれるのでしょうか…?

 皆さまどうぞお出かけください。

   野村美術館のホームページです→ http://www.nomura-museum.or.jp/

ご法事にて

 私が、学生時代からお参りをさせていただき、かわいがっていただいたご門徒さんの三回忌をつとめさせていただきました…。


お供養は、地球儀でした…^^

 お供養にかわいい地球儀をいただきました。亡くなられたご主人は、長い間、大きなタンカーに乗り、世界をまたにかけてこられたからです…。


ご家族手作りのお膳でした~♪豪華!!お膳などは亡きご主人の手作り!!!

 船員を退職されてから、趣味でいろいろな木工品を手作りで作り続けられたご主人でした。お参りに伺っても、いつも庭の作業場で黙々と椅子や物入れ、その他さまざまな物を作られておりました。
 写真のお膳も松花堂もご主人の手作りで、それらに盛られたご馳走もお孫さんを始め、ご家族みんなの手作りのお斎(とき)でした。

それぞれ素材を生かした美味しいお料理の数々でした…^0^/

お寿司も手作り…ビールはノンアルコールですよ。

 ご家族にとって、とても大切なご主人であり、お父さんであり、おじいちゃんであったことが偲ばれます…。
 短めのお経(汗)と長めのご法話に、見栄えも味も美味しいお斎と、三拍子そろった?すばらしいご法事でありました。

 満中陰、一周忌、三回忌と三度、美味しいお斎をいただきましたので、次は七回忌と言わずに、来年、四回忌をぜひやりましょっ…お料理だけでも…なんてお話も盛り上がって…どうなることやら楽しみです。

 ご馳走さまでした…。合掌。

お久しぶりです(汗)


拙寺で薮内流のお稽古が始まりました。1月の床の飾りです。


 かれこれ3ヶ月と少し…(汗)更新を怠っておりました。

 ついこの間、駅のホームでバッタリ会った知人に、「ホームページ更新してくださいよっ!」と、温かい声をいただきました。ありがとうございました^0^/

 とりあえず、1月後半からざっと何があったのか?思いだしたいと…。


震災法要と震災支援活動では、大きなダンボール7箱分のお菓子を。感謝感謝。

~神戸のお菓子を送ろう~ということで、活動ご参加ありがとうございました^^


園児たちと、節分のお茶会です^^/ ご挨拶がとてもきれいです!

床の間は、鬼の念仏のお軸に、お豆のお菓子です。まめは、「魔滅」から来ております。

その後、節分当日に来た鬼です〇0〇! 鬼が島からやって来ました。

桃太郎に退治された鬼の子どもに当たる鬼だそうです…。胸には桃のマークが…。


続いてお茶会法座です。

法然上人の絵伝断簡を掛け、800回遠忌を偲びました…。

木ササゲと椿。 宇(軒下のことだそうです)で教えを受ける稚児時代の上人。


2月のお稽古…。床の軸の鉄酸?(てっさんとう)とは、鉄でできたお饅頭のこと。


園児たちとひなまつりのお茶会。

明治時代の京都画壇の面々が、コラボして描かれたお軸です。地味ハデ!?


次男が中学卒業~^0^/


その次男が6歳の時に書いた「山」を掛け、園児たちのリクエストのお茶会。

とりあえず、、、3月半ばまでを駆け足で…(汗)

美味発見!!


相生市にある手打ちそば屋さん。森下さんです^^v

 1月のある日、相生市のお寺さんの報恩講(親鸞さまのお命日法要)に二日間伺いました。

 普段ないことに、予定より30分ほど早くつきそうだなぁ~と、自然あふれる道路を車で走っていたのですが、いきなり、手打ちそばの幟が目に入ってまいりました〇?〇


失礼ですが、自動販売機一つない、田舎道でした…。

 こんなロケーションというのは、きっと美味しいおそばを食べさせてくれるに違いない!!と思い、迷うことなく店内へ…。
 しばらく待って席へ案内され、注文してみると、おそばが売り切れ寸前で、最後の一つとのこと。時間は午後1時頃…。

 とても瑞々しく、美味しいおそばをいただきました^^/


また、伺いたいお味でした(・0・)V

ふたたび大自然の道を急ぎ、お寺に向かいました。

 ご法話の第一声で、お蕎麦屋さんのことをお参りの皆さまに尋ねましたが、ほとんどの方が、「お店があるのは知っていたが、食べたことがない…」という反応がほとんどでした。

 播州の方は一度、是非寄ってみてください…。

青年団の法座


姫路の岡田地区の青年団の面々。左が団長さん^^若干24歳!!

 年初めに、姫路の岡田地区の青年団主催の報恩講(親鸞さまのお命日法要)と戦没者の追悼法要が行われ、法話に伺いました…。

 青年団?と言っても、40代~50代ぐらいの方々かと思って伺ったのですが、本当に青年でした^0^/

18歳から24歳までだそうです。


公民館で法要が行われました(~?~) 


戦争で亡くなられた青年団の方々の追悼法要を、時代を越えて今の若者たちが…(嬉)


右が岡田地区の方々の取り次ぎ寺のご住職です^^地区の方々も参加して賑やかです。

 お話は、三座させていただいたのですが、一座目に居眠りをしていた団員さんが、年長の団長さんに説教をくらっておりました^^;

 二席目からはみんなきりっとしていましたよ^^V

 みんな和気あいあいとしておりますが、同じ地域で生まれ育った先輩と後輩…。そんな一面も見ることができました。

 この日のために、普段は県外で仕事や学校に通っている若者たちが帰って来て、力を合わせるのです。


美味しそうな炊き出し…^^

作り手は子ども会のOGの女の子たちです…。顔出しはNGのようで…。

 こんなご時世ですから、年齢制限による団長の退団で、来年の開催してくれるのか…?住職さんは心配そうでしたが、「大丈夫です。何としても続けていきます!」との力強い言葉が返ってきました。


会所となった岡田地区の公民館。

 来年も伺うお約束をして、さわやかな気持ちで姫路を後にしたことでありました…。

ご近所の喫茶店♪②


コップンカフェのタイ風焼き飯!パッタイです^^ 美味しいですよ。

タイ米の麺?だったかな??美味!  マスターです。とても優しい方です^^

 息子が小学校を卒業して、去年でPTAの会長のお役目は終わったのですが、いまでもコップン会議はあるのです…。

 PTAのころに、何か、もめごとや、話し合うことができる度に、「これはコップン会議を開かなきゃ!」とか言って、ここにやって来てました。

 来れば何時間もペチャクチャと…。とにかく居心地がよくて、メニューも豊富で、アジアの料理が美味しいですよ(*・*)V

 打ち上げもやりました^^というか、何か行事があるたびに、打ち上げばかり…^^;


楽しかったです…。

 あっ!相談すれば、お安く!アジアンメニューで、貸し切りや団体さまも受け付けてくれますよ~V
 生春巻やトムヤンクン、ナシゴレン…などなど、うまい!安い!ボリュームたっぷり!と三拍子そろってま~す^0^/ 是非ぜひ…。

ご近所の喫茶店♪①


コップンカフェ-です^^ 

 ご近所の行きつけの喫茶店、コップンカフェ-です…。


アジアンチックなお店で~す^0^/


置き物もアジア(~*~)なんか落ち着きます…。


中国茶からオレンジジュースまで、幅広い種類の飲み物がありますよ~V


メニューには、和・洋・中・アジア…の飲み物と食べ物満載!!


 元PTAのお母さんたちと♪今でも時々、ペチャクチャ井戸端会議をしておりま~す^^

 誰が名付けたのか?「コップン会議」と申します。

 一度来てみてください~。

回り道


親鸞聖人ご絵伝・出家学道の場面。

 親鸞聖人のご絵伝の最初、出家学道の場面です。松若丸というお名前であった9才の時に、出家をされました。

 下の段の絵は、松若丸が乗ってきたとみられる牛車や引っ張ってきた牛・牛飼い童(わらわ)、そして叔父さんの日野範綱(ひの・のりつな)の馬、烏帽子をかぶったお供の家来たちが描かれております。

 上段左は、慈円和尚と松若丸・範綱がなにか話をしている場面で、右はその後、出家をされるおかみそりの式の場面です…。

 伝え聞くお話は…松若丸が慈円和尚のお寺に着いたのは、もう夜遅かったので、和尚は「今日はおそいので、お寺でゆっくりお休みください。出家の式は明日、あらためて行いましょう」と松若丸に話されたそうです。


上段左のアップです。

 しかし、松若丸は今の心持ちを、一つの歌にして詠んだそうです。

 「明日ありと/おもう心の/仇桜/夜半に嵐の/吹かぬものかは」

 「明日がある、と思う心が仇になって、桜の花見を明日、明日と引き延ばしているうちに、夜半に嵐が吹いて、桜の花びらがみんな散ってしまい、今年はとうとう、花見が出来ずじまいであった…」という、桜の花見と人生をひっかけた歌となっており、「9才といえども明日がどうなるか分かりません。今晩のうちに私をお坊さんにしてください」という思いを伝えられたのでした。


上段右の図、松若丸おかみそりの場面。

 平安時代末期の当時の日本は、今風に言うと、源平の合戦という内戦状態。地震や飢饉・疫病が流行った「世も末」といわれた時代だったようで、本当に明日がどうなるか分からないという空気があったのかもしれません…。

 親鸞聖人が出家をしたといわれる青蓮院(当時はそこに慈円和尚のお寺があったという説も聞きます)のすぐそばの吉水(よしみず)といわれるところ(今の知恩院辺り)で、当時、すでに法然上人がお念仏のみ教えを勧めてくださっておりました。

 つまり親鸞聖人は、20年後弟子となる法然上人に、9才の出家当時、場所的には限りなく近づいておりながら、お出遇いするご縁がなく、比叡山に上られたのです…。

 しかしその回り道があったからこそ、20年後、上人の教えを真綿が水を吸うがごとくにいただけたのでは?とも思うのです。人生には、時には回り道も必要だと感じるのです…。

結婚式


明石大橋を前に最高のロケーション^^人前結婚式でした。おめでとう~(^0^)/

 先日、わが園の保育士が結婚いたしました…。

 とてもきれいな花嫁姿でしたよ^^V


料理はイタリアン!!とっても美味しかったです(~。~)

 かわいらしくて愛嬌のある職員ですが、彼女の保育はとてもキッチリしています。

 一人ひとりの園児の生活態度を細かく注意しております(もちろん優しくですよ~)。
 よくそこまで目が行き届くなぁ~と感心するのですが、「そこまでしなくても~」と、私なんかは思ってしまいます…。


ウェディングケーキに入刀~(*-*) 

 式の少し前でしたか、彼女にそのことを問いかけてみると、突然ポロポロと涙を流しながら、「母と祖母が、そのようにして私を躾けてくれたんです。そうやって育ててくれた二人に、今、本当に感謝しているんです…」と話してくれました。

 私は、胸が熱くなりました。そして、彼女の保育のルーツを知ることが出来、とても安心したことでありました。

 おばあちゃんやお母さんにしてもらったことを、園児たちに実践してくれているなんて素敵ですよね。そして幸せに育てられたんでしょうね…。

 彼女の結婚式は、お母さんの誕生日でした。ウェディングケーキがバースデーケーキに早変わりいたしました。


結婚する娘から、誕生日の母へケーキのプレゼント(^0^)/


 お母さんも嬉しそうでした^^V

ただ、ケーキにはロウソクが3本でした…ひょっとして、お母さんは30歳???

 ってことはないですよね^^;

 とにかくおめでとう~パチパチ…!!!

音楽コンクール


嫁さんが撮ると、いつもピンボケ(-o-)?


 息子たちの中学校の音楽コンクールで、三男が合唱の伴奏をピアノで弾きました。

 5クラスの対抗で優勝すれば、文化祭当日に学年代表で披露できるのです。男の子の伴奏は息子だけでした。

 家で聞いたこともなかったので、「ほんまにピアノ弾けるんかいな???」と思っていたのですが、普通に弾いておりました(*0*)!

 卓球部に入り、習いごとはしんどい!とか言いながら、ピアノだけは先生と馬があったのか?続けておりました。

ん~継続は力なり!!!

みごと!!優勝いたしました(^0^)V

歌ったクラスのみんなのおかげです…。

淡路の夕焼け


眩しすぎる夕焼け(+・+)

 先日、保育園の子どもたち(年長さん)と一泊で、淡路にいも掘りに行きました。

 その日暮れ時、今まで見たこともないような夕焼けを見ました。空が燃えているのでは?というくらいの眩しさでした。

 しかも、その反対の空を見上げると…

 巨大な虹が出ていたのです!!


巨大すぎて、一枚の写真におさまりませんでした(*・*)

 夕食の準備を待っていた子どもたちを外に連れ出したら、大喜びでした。


 その後も、巨大なUFOのような雲が流れてきました。

 とても不思議な光景でした…。

 それだけです…(^o^;)V


 みんなで記念写真を撮りましたが、写りませんでした(?・?)

 夕焼けが終わるころ、やっときれいにカメラに納まりました…。

鯉のぼり②


谷間を悠々と泳ぐ鯉のぼりたち。

 “鯉の滝のぼり”という絵の題材がありますが、ホントに空の向かって登っていくような感じです。

 中国で、鯉が黄河(こうが)という大きな川を登っていく話があります。

 激しい急流や滝をいくつもこえていく間に、羽が生え、形相も変わっていき、最後に竜門という門をくぐることが出来た鯉だけが、本物の竜になることが出来るのだそうです。

 わが家に源内焼の皿があります。

 源内焼(げんないやき)は、江戸時代中期の18世紀に、平賀源内の指導によって、その故郷である讃岐の国の志度(現在の香川県さぬき市志度)、及びその周辺で製作された軟質で色鮮やかな陶器です。

 型で作られた絵は、仙人を乗せた鯉が滝を登り、まさしく竜門をめざしている図柄であります。

 かなりの滝を越えたらしく、立派な羽が生え、形相も鯉から竜に変わりつつあります。竜門は間近!というところでしょうか???


型で作られた模様は、斬新で非常に緻密です。

 目標を達成するために、乗り越えなければならない最初の難しい関門のことを登竜門(とうりゅうもん)というのは、ここから来ているそうです…。

鯉のぼり①


谷間を泳ぐたくさんの鯉のぼり…。

 毎年2回、保育園の年長さんを淡路につれていきます。

 一泊二日で、7月に海水浴、10月にいも掘りに行きます^^

 その折に宿泊する施設の前が、大きな谷になっておりまして、毎年この時期に、その谷間をたくさんの鯉のぼりが泳いでいます。


気持ち良さそうです(~・~)

 これだけたくさんの鯉のぼりが泳ぐ姿は、壮大で迫力があります。


道々には風車も回っています。

 谷の周辺をぐるりとお散歩が出来ます^0^

 とても気持ちがいいですよ。

語尽山雲海月情 ~宇野行信先生のこと~

 20年前に、本山で3ヶ月間、学ばせていただいた折に、大変お世話になった宇野行信先生。
 数年前に、先生が亡くなられた時は、それはショックであった…。


 お通夜にお参りさせていただいたが、お棺の前でお礼を申すのがやっとだった。多くの若い僧侶が先生の棺を囲んで涙を流していた。その光景は、お釈迦さまが亡くなられた日(2月15日の涅槃会)の直前だったこともあり、弟子や動物たちがお釈迦さまの前で涙している涅槃図とダブって見えた…。


 その日からしばらくの間、茶室の床には写真のお軸を掛けて、先生からいただいた数々のご恩を思い出し、思い出ししながら、お茶をいただいていたことを思い出す…。

 お軸は、大徳寺第505世住持の歓渓紹忻(かんけいじょうきん・号は清涼)の書である。「語尽山雲海月情」という一行で「語り尽くす、山雲海月の情」(かたりつくす、さんうんかいげつのじょう)と読む。山雲海月の情とは、「あらゆるすべてのこと」という意味だそうである。出典は『碧眼録』(へきがんろく)という書物で、馬祖道一(ばそどういつ)が、弟子の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)を悟りに導くために、ありのまますべてをさらけ出して、教えを語り尽くしたことを評した言葉である。


 ふりかえれば20年前、3ヶ月の間、本山で学んだ折に、先生からいろいろなことを教えていただいた。その多くは今でも私が僧侶として生きる上での指針となってくださっていることである。中でも、富山での法話実習の指導に、先生が引率してくださったのが一番の思い出である…。


 夜、食事をいただきながら、先生はご自分の生い立ちを話してくださった。生まれつき体の一部が不自由であったため、自分を産んだお母さんを恨み、辛く当たったこと…。
 しかし、実は出産すると命の保障がないと医者にいわれながら、命がけでお母さんが自分を産んでくれたことを後に聞かされたこと…。恨み続けたお母さんから願われて、いただいたいのちであったことを知り、お念仏を喜ぶ身になっていかれたこと…。先生は涙を流しながら、ありのまますべてをさらけ出して、まさに山雲海月の情を語り尽くしてくださったのである。あの夜のことは一生忘れることはないだろう…。


 お釈迦さまの死を悲しみ涙する弟子のごとく、思い出すと、いまだに無念の思い一杯である。しかし、先生からいただいたご恩に少しでも報いたいと思うことである…。

「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も、骨をくだきても謝すべし」

灰色の国旗


 以前バス旅行で、倉敷の大原美術館に行きました。
 大原美術館は、事業家の大原孫三郎が、逝去した親友の画家・児島虎太郎のために設立した、日本で最初の西洋美術中心の私立美術館だそうです。  私は西洋美術(とくに絵画)に全くといっていいくらい興味がなかったこともあり、一応は入館するにしてもすぐに美術館を出て、むしろ倉敷の白壁通りなどの美観地区を散策したいと考えていました。
 しかし入館してみますと、西洋美術音痴の私でも聞いたことのあるビッグネームの画家の絵がたくさんあるのには驚きました。
 モネの『睡蓮』…、有名なピカソの絵…、タヒチで見たゴーギャンの絵の本物…、ルノアール、セザンヌ、ムンク、シャガールなど、有名どころの絵が揃っていました。
 素通りするはずでありましたが、思わず見入ってしまい、結局、美観地区の散策はあきらめて、1つ1つの絵をゆっくりと見ることにしました。有名無名を越えてそれぞれの絵が感動させてくれるものばかりであり、絵画の鑑賞の面白さが少しだけわかったような気がしました…。


 ジャスパー・ジョーンズ作 灰色の国旗


 そんな美しい絵が並ぶ中で、ひときわ異彩をはなっている絵が1つ目につきました。
 キャンバスを灰色に塗りつぶしただけのような絵で、最初はとても絵には見えなかったのですが、よく見るとやっぱり絵でありました。
 灰色一色で描かれていたのは、アメリカの国旗でした。描いたのはアメリカのジャスパー・ジョーンズという画家で、絵には『灰色の国旗』という名がつけられていました。

 「何故、自国の旗を灰色で描いたのだろう…?」
 そのことがまず気になりました。本当のところは何も分からないのですが、ひょっとしてこの絵はジョーンズという画家が、自国の歩みに対して心を痛めながら描いたものではないだろうか?と勝手な想像をめぐらしたりしていました。

 この画家の詳細を知らないので、どこまでいっても想像の域を出ないのですが、この絵が描かれたのが1957年で、第二次世界大戦から12年後に当たり、アメリカが朝鮮戦争(1950-1953)を経て、さらにベトナム戦争へ突入していく真っ只中に描かれた作品だということが1つ気になってしかたがなかったのです…。

 イラクやアフガンの戦争。そして終わりを見い出せないその戦後の姿…。
 世界は戦争という決着のつけ方に大いに疑問を持ったと思います。
 そして自国の正義を価値観の違う他国に押しつけることの傲慢さを知ったようにも感じます。

 そんな今だからこそ、『灰色の国旗』は静かにその存在感を示しているように感じるのです…。

わが家の晩ご飯①の4

いよいよペルドマーニ自家製のデザートの紹介です^^


いつも黒板の本日のデザートを見ながら、どれにしようか??悩むのです‐・‐





サツマイモとチョコのムースケーキです〇?〇

 次男はチョコ系を必ず注文いたします。この日はなかったのですが、ガト―ショコラが大好きです。

 1月にお寺で、阪神淡路・東日本の震災追悼法要を勤め、その後に東日本に神戸の美味しいお菓子を送る支援活動をさせていただいたのですが(当HPの震災をこえて⑧の2参照)、シェフも手作りのガトーショコラを作ってくれました^0^

 その折に、「蓮ちゃん(うちの次男のことです;)に食べられないように気をつけてくださいよ!」と心配しておられました。

 蓮ちゃんに嗅ぎつけられることなく、無事にクール宅急便で、東日本に届けましたよ!


コーヒーのシブーストです***

 シブースト???生クリームとよく合って美味しいことはよくわかるのですが、カタカナの意味はよくわかりません^^;


イチジクと紅茶のケーキ。

 紅茶のケーキは大好きです。

 紅茶とか抹茶とかほうじ茶とか煎茶とか…もともとお菓子とともにいただくお茶たちは、ケーキにしても美味しい!というのは道理に合いますよね!!!


コーヒーカップもかわいいですよ。


お店にはいけすもあります。

 お願いすれば、いけすのお魚で2~3品お料理も作ってくれます。

 最近は、リードヴォーの料理がお気に入りです。リードヴォーって何だったか忘れましたけど;;(とにかくカタカナは苦手)とても美味しい~です^^

 今まで食べたことがない美味しさでした。また、紹介させていただきます。

みなさん!ぜひ、一度お店に!  お店のHP http://perdomani.com

わが家の晩ご飯①の3

 遅れましたが~ペルドマーニの美味しいパスタで~す。


ボロネーゼでーす^^ いわゆるミートスパゲッティーですが、全然違います。うまい!


ボロネーゼの細麺です。子どもたちは、いつもどちらの麺にするか、迷ってます(?・?)


ぺペロンチーノ(*・*) 次男と私がとくに好きです***


明石浦漁港直送生タコと下仁田ネギのピーチアンチョビ風味(+・+) もちもち!!

 ピーチとは、うどん状のモチモチの生パスタです^^

 連れ合いのお気に入りです。


私の大好物!!茄子のトマトソースで~す^^ ホント美味しいですよ~

 皆さん、ぜひ、一度お試しあれ。

お店のHP http://perdomani.com

わが家の晩ご飯①の2


ペルドマーニのメニュー(^0^)/ シェフのかわいらしい文字です。

 今回は、メインのお料理の紹介で~す^^


モッツァレラチーズを包んだ仔牛のカツレツ!!


濃厚なチーズがトロトロと(美味!)

 仔牛のカツレツを切り分けようとした途端、四方八方からフォークが…。写真を撮っている間に、息子たちがさらっていきます(+0+)

 ようやく一切れをゲットしましたが、濃厚なモッツァレラチーズが中からトロリと…。ホントに美味しいです。


子どもたちが必ず注文する地鶏グリルのローズマリー風味!

 息子たちが大好きな地鶏のローズマリー風味です。

 香ばしく仕上げられた地鶏に、添えられたレモンをきゅっとしぼっていただくと、サイコーです***ローズマリーの風味もとっても合っています(嬉)

 地鶏も柔らかく、必ず注文する一品です。飽きのこない定番メニューで、わが家の大好物です(~:~)

 一度ぜひ、お試しくださ~い。


シェフと息子たち。

 次回はパスタの紹介です~!!  お楽しみに***

お店のHP http://perdomani.com

わが家の晩ご飯①の1


ご近所のおいしいイタリアン!

ペルドマーニです(^0^)/

 わが家の晩ご飯という題ですが、ご近所のおいしいイタリヤ料理屋さんをご紹介しま~す。


前菜8種の盛り合わせです。必ず注文します^^

 通いだしてから6年ほどになりますが、とくにここ2~3年、連れ合いが調子を崩していた時期(もうすっかり元気で~す)に、それこそわが家の晩ご飯のごとく、お世話になっておりました。


自家製パンも美味しいんです!出てきたらもう取り合いです。

 私と連れ合い、3人の息子(好き嫌いが多いんです-・-)の全員の口に合うお店って、なかなかないんです。
 あれは嫌や、これは食べたくないと、なかなかまとまりません。そんな時は…

 ほんならペルドマーニ行こか??    ウン!!

 と、まとまるのです。


パルマ産生ハムと苺のサラダバルサミコソース(~・~)生ハムと苺がよく合います。

 子どもにはちょっと贅沢な美味しさですが、料理が出てきた途端、一瞬にしてなくなってしまいます。気を許していると、そこには野菜しか残っておりません。
 野菜も食べなさい!と叱るのですが、またこの野菜が、残ったイタリアンなソースとからめていただくと、とても美味しいんです。


かわいらしいお店です(へ・へ)

 ここまでが前菜でーす。次回は、メインのお料理を紹介いたします。

 お楽しみに―***

 お店のHP http://perdomani.com

今年もよろしくお願いいたします(^0^)/


山西家三兄弟。左から優(高1)・蓮(中2)・樹(小6)正月からゴロゴロしてます。

 昨年も多くの方々に支えられ、今日の日を迎えることができました。

 皆さま、本年もよろしくお願いいたします。

 わが家では、年末までバタバタして、除夜の鐘を撞き(たくさん来て下さってありがとうございました^^)、お正月のお勤めをし、朝方に寝て、年がすっかり明けてから年賀状を作成する癖がついてしまい(汗;)、申し訳のないことです。

 1970~80年代のへヴィメタルやハードロック好きの長男は、高校に入学後、エレキギターを背負って、遅刻もせずに学校へ行くようになりました。楽しいんでしょう。
 新年には、髪型もへヴィーになるのか?と思いきや、漢字検定に2度落ちて、丸坊主となりました(+0+)

 いつもマイペースの次男は、保育園で教えられた大切なことを、中学生になっても忠実に守り、外食でどんなお店に入っても、大きな声で「手を合わせましょう!多くのいのちと皆さまのおかげにより、このごちそうを恵まれました…」とやるもんですから、食事に来ておられるお客さま方から「変わった家族??」と私たちは思われているようです^^;
 ホント、食事の時に手を合わせることもしにくい世の中になりました…。

 小5の時は遅刻79日だった三男は、6年生になってからは、お父ちゃんが寝坊した時に一緒に遅刻をした2日だけにとどまるという、急成長を遂げました(〇?〇)/
 毎日友達と遊んでばかりで、勉強という言葉はまだ覚えていないようです(-・-)

 勉強はともかく、3人とも家の手伝いはよくしてくれるのです^^!

 今年のお盆参りは、長男と三男が二人だけで70件のご門徒さんの家をお参りしてくれましたし、年間7回あるお寺の法要には必ず出勤(お坊さんが本堂に参ることをこう言います)してくれますし、年末の庭や本堂の外回りの掃除は3人が全部やってくれました。

 除夜の鐘つきでは、90人をこえる方々に、長男がたこ焼きを焼いて振舞ってくれました。

 勉強はともかく、頼もしいかぎりです…。

仕事が仕事をしています…1の①

 ある朝、保育園の職員がお世話をしてくれている花壇をふと眺めていると、不思議な光景に出遭いました。もっと近づいてみてみますと…

 最初はなんだかよくわかりませんでした???
 誰かがイタズラをして、葉っぱに穴をあけたのかなぁ?と…。

 しかし、しばらくしてわかりました!!!青虫が葉っぱを食べた痕でした(+・+)

 芸術的なお食事の仕方やなぁ~(笑)

 この葉っぱを見て思い出した話があります。昭和の陶芸家、河井寛次郎のお話です。


わが家にある寛次郎の湯のみです^^ 筆が走っております。

 寛次郎が用事で出かけた帰りに、道中で体を休めておりますと、青虫が葉っぱを食べている姿が目に入ってきたそうです。何とはなしにその様子

 「青虫が葉っぱを食べている、とばかりに思っていたが、葉っぱが青虫を養っていたのだ!!」

という不思議な感覚につつまれ、天地がひっくり返ったような感動を覚えたそうです。

 寛次郎に惚れこんでいる、近所の茶道具屋さんの若旦那にこの話を聞かされた時、私も心を動かされたことを思い出します。
 人間の普通の感覚で考えてみますと、葉っぱが虫に食い散らかされているわけですが、大自然や宇宙というような、もっと壮大なスケールでいのちを感じることができたならば、「葉っぱが青虫を養っている」という世界が見えてくるのかもしれません…。


人間が作り出したものとはまた違う美しさがあります…(-・-)

 そういえば寛次郎の記念館(かつての住まいが記念館になっております^^公式ホームページはこちら→http://www.kanjiro.jp/)にまいりますと、「仕事が仕事をしています…」という言葉を目にいたします。
 「変な言葉やなぁ」というのが第一印象でした。「仕事は私の意思で一生懸命するもんや…」という風に思っていた私にはとても不思議な言葉でしたが、若旦那の話を聞きながら、「私が仕事をさせていただけるようになるまでに、多くの方々の手を煩わせ、支えられて来たことに気づかされ、“私”が薄れていくほどに、仕事が仕事になっていくのかなぁ…?」と、なんとなくあったかい気持ちになっていくのを感じました(~:~)

また、寛次郎記念館に行って、ホッコリとしたくなってまいりました…。

K先生のチューリップが咲いた!


保育園のK先生が、見事なチューリップを咲かせてくれました(へ?へ)

 きれいでしょ~!!K先生が一所懸命そだててくれた、チューリップたちです。


見事!!

 次は、ひまわりをそだててくれるそうです(^0^)/

 楽しみです…

 また、HPで見ていただきま―すm( _)m

ピーちゃんとパーちゃん(共命之鳥)その②

 体が一つ、頭が二つという珍しい鳥、共命之鳥(ぐみょうしちょう)のピーちゃんとパーちゃんは、極楽浄土でも一番のきれいな羽を持った鳥でした。それだけではなく、鳴き声もそれはそれは美しい鳥でした…。


我が家の玄関の欄間(らんま)に共命之鳥が飛んでいます…。

しかし、パーちゃんより少しだけ、ピーちゃんの方が美しい声で鳴くことができました。


年度末に、卒園児のKくんも独創でピーちゃんとパーちゃんを作ってくれました^0^

 パーちゃんは、ピーちゃんがいなくなればいいと思いました。ピーちゃんがいなくなれば、自分が極楽浄土で一番の美しい鳴き声になる!と考えてしまいました。
 パーちゃんは、ピーちゃんに「このキノコを食べればもっときれいな声が出る!」とウソをつき、毒キノコを食べさせました。だまされて毒キノコを食べたピーちゃんは、苦しんで倒れてしまいました。

 パーちゃんは、これで自分が一番になったと思い、喜びました。しかし…

 体が一つであったために、ピーちゃんの食べたキノコの毒が、パーちゃんにも回ってきました。
 「しまった!」と思った時はもう遅かったのです…。パーちゃんも倒れてしまいました。

 しかし、その愚かな姿を見ていた仏さまが、薬草を与え二人のいのちを助けました。

 相手の立場に立ち、助け合うことなしに生きていくことができない共命之鳥…。


新しい年長クラスのIちゃんが、ピーちゃんとパーちゃんの顔も違えて作ってくれました。

 “共感“などという言葉は、残念ながら今の私にはとてもじゃないけど使うことができません…。

 今回の大震災の様子をテレビなどで見ながら、何かできないかと居ても立っても居られない思いと裏腹に、16年前の恐怖がよみがえり、体がすくみテレビを消してしまう情けない自分がいます…。
 形ばかりのことしかできず、震災経験者だからこそ生み出せる知恵も湧いてこないのは、何故だろう…?情けないかぎりです。

 しかし、今一度、16年前の震災の時、何が悲しかったのか?何がうれしかったのか?何が必要だったのか…?その頃の思いに立ち返りつつ、今、私の立場では何をさせていただけるのか、共感はできなくとも、その痛みや悲しみを想像したり、近づこうという努力を続けながら、この地球で命を共にしている一人として、できることから始めたいと考えています…。

ピーちゃんとパーちゃん(共命之鳥)その①

 卒園式の日に、卒園児のKちゃんからプレゼントをいただきました…(^0^)/


折り鶴のようですけど、頭が二つあります???

 卒園式の前の、最後の礼拝(毎週月曜日の朝おこないます)の時に、子どもたちにピーちゃんとパーちゃんのお話をいたしました。ピーちゃんとパーちゃんとは、当園でのニックネームなんですが、本名は共命之鳥(ぐみょうしちょう)といいます。

 『仏説阿弥陀経』(ぶっせつあみだきょう)というお経の中に登場する六鳥(極楽浄土に住む六羽の鳥です)の内の一羽ですが、体は一つで頭が二つ、という変わった姿の鳥です。共命之鳥とは、その名の通り、いのちを共にした鳥ということなんです^^
 一つの頭をピーちゃん、もう一つをパーちゃんと名づけ、わが保育園では子どもたちに人気の鳥さんです(~・~)


お寺の玄関で~す。マイデザインの六鳥が飛んでいます^^;

電気を消すと、日の光が差し、六鳥が浮かび上がります(へ・へ)

白鵠(びゃっこう) 鶴の仲間のようです。

孔雀(くじゃく)です。

鸚鵡(オウム)で~す。

舎利(しゃり)といいます。お浄土にしかいません(-・-)

迦陵頻伽(かりょうびんが)という優雅で美しい鳥です^0^/  

美しい声で鳴き、きれいな羽を持った共命之鳥で―す^^

 Kちゃんは、保育園で聞いたピーちゃんとパーちゃんの話を、お家でご家族にお話ししてくれたようです^^
 それを聞いたお姉ちゃんが、折り鶴をアレンジして共命之鳥を作ってくれたんです…。

な・る・ほ・ど!!

 Kちゃん、ありがとう…。園長先生は、ずーっと宝物として大切にします(~・~)

  共命之鳥のお話は、次回ということで…。

狂い咲き


 我が家では、例年、4月の終わりから5月の初めに咲く蔓桔梗(つるききょう)が、2月に咲きました。

 庭で見つけたのは、2月14日でした。
 この日はお茶会法座だったので、茶花を椿にしょうか?水仙にしようか?と、庭で思案していたのです…。

 しかも、その日神戸は、雪景色でした。お茶会法座参加のお返事をいただいていたお方も、10数名、雪のために急きょご欠席でした。


こんな景色、久しぶりでした(^^)

枯れ木に雪が咲きました(0・0)

ふだんは何でもない階段が、洒落て見えます(”・”)

 雪で車が動かなかったり、厚着をして汗をかいたり……。

 地球はどうなっちゃうんでしょう???

秋深まる京都②

 出張続きで更新が遅れている間に、もう12月半ば、すっかり冬になってしまいました…(*・*)
 冬ですが、強引に秋深まる京都をやりま-す。

 11月は、毎日のように、あちらこちらのお寺さまにご縁をいただきまして、ご法話に寄せていただいておりました。ご本山清掃の初日も、途中で抜け出しご法話へ…。夕方、ご本山に戻り、疲れ果てて、先に寝てしまった私…。

 その夜、家族は一体、何をやっていたのでしょうか…?


こいつ(3男)は、いつもこんなもんです…。


嫁さんも…?ウルトラマンごっこですか…?
私のデジカメに残っていた、不可解な写真です(-:-)


夕食時は、こんな風に普通でした…(^・^)


ただし、3男をのぞいてですが…。

秋深まる京都①

 ご本山(西本願寺)のお掃除に行ってまいりました。念仏奉仕団といいまして、年間で70回ほどあるそうです。全国からたくさんのお寺や団体が奉仕に訪れ、本山がきれいに保たれています。光明寺も年に一度、一泊二日で参ります…。


阿弥陀堂の畳ふきです


二男とお調子者の三男の距離の長い雑巾がけです


本山の大銀杏が今年はとてもきれいです


いつも働き者のおばです(通称は、マッタセンセ-です)

 今年は、30回目の参加で、感謝状をいただきました。前住職の代から30年、たくさんのご門徒さんやその関係の方々にご奉仕をいただきました。ありがとうございました。

 前住職が闘病生活、私がまだ学生、という時期も、ご門徒さん方が単独で、この奉仕団を続けて下さいました。本当に感謝感謝です…。


感謝状を受ける、婦人会会長の竹内さんです(^-^)

教蓮寺の親鸞さま

 きゃあ―!かわいい~!! と、思わず叫んでしまいました(^^)


姫路市の教蓮寺さまの親鸞聖人御修行御像

 秋になると、全国の浄土真宗のお寺で、親鸞さまのお命日法要の『報恩講』がつとめられます。私もあちこち、ご法話に寄せていただくのですが、この教蓮寺さまの親鸞さまに初めてお会いした時、ホント、思わず叫んでしまいました…。

 親鸞さまといえば、厳しいお顔のお像がほどんどですが(それもありがたいのです)、こんなに柔和で、優しそうで、味のある親鸞さまはなかなかお会いできないことです。

 見とれていると、このお像を建立されたお方の甥ごさん(吉田さんとおっしゃいました)が、話しかけてくださって、いろいろと説明してくださり、思い出を語ってくださいました。吉田さんありがとうございました―!


横顔アップです(~*~)

 お師匠様の法然上人の教えを守ることには、一切の妥協をせず、それをさらに深めていかれる厳しい道を歩まれた親鸞さまですが、きっと、相対する人々には、こんなお顔でお迎えされたのではないでしょうか。

“一人いて喜ばば二人と思うべし。二人いて喜ばば三人(みたり)と思うベし。その一人は親鸞なり”

 このお言葉がなつかしい感じです…。


教蓮寺さまの本堂です。報恩講の真っ最中です。


本堂の阿弥陀さまと、真向いにおられます。

光明寺ウェブサイトトップページについて②

 トップページの絵は、御絵伝という掛け軸のなかの様々な場面です。

 御絵伝とは、親鸞聖人のご一生とその逸話を四幅の掛け軸にまとめられたもので、聖人のひ孫の覚如上人(本願寺第3代門主)が、鎌倉時代に製作されたものに始まります。トップページの御絵伝の写真は、拙寺がこのたびお迎えしたばかりの御絵伝です…

(聖人9歳の春、剃髪して出家される場面)

 拙寺は昭和20年3月の神戸大空襲で焼けてしまい、ご本尊も宝物(ほうもつ)もすべて失いました。もちろん御絵伝も焼けてしまい、それから65年の歳月が経ってしまいました。毎年秋に勤める親鸞聖人の命日法要の報恩講では、本来、この御絵伝を本堂に掛け、聖人のお徳を偲ぶのが、覚如上人以来の報恩講の習わしです。しかし、私が生まれた時からお寺に御絵伝は無く(昭和40年の生れです)、何ともなしに今日まで来たのですが、3年前に、私の御絵伝の法話を聞いて下さったご門徒さんが、「住職、お寺に御絵伝をお迎えいたしましょう!」と口火を切ってくれました。

 その声に後押しされ、聖人の750回大遠忌の前年にあたる今年、65年ぶりに御絵伝をお迎えすることが出来ました。多くのご門徒さんのご協力があったことは言うまでもありません。感謝感謝です…。


(親鸞聖人とその兄弟子たちの間の信心についての論議に決着をつける師の法然上人)

このサイトが立ち上がっている頃には終わっていることですが、11月7日に報恩講と聖人750回大遠忌法要を拙寺で勤め、御絵伝をご門徒の皆さまにご披露することになっています…。

光明寺ウェブサイトトップページについて①

 歓喜というウェブサイトのネームは、歓喜山・光明寺という拙寺の山号からとっています。山号といっても、実際に山があるわけではないのですが、昔、お寺は人里離れた山の中に建てられることが多かったので、その名残で山がなくても山号があります。

 歓喜という言葉は、お経のなかにたくさん出てくる言葉です。われわれ浄土真宗の宗祖の親鸞聖人は、この歓喜という言葉に独特の解釈をされて次のようなお言葉を残されています。

『歓喜というは、歓は身をよろこばしむるなり、喜は心によろこばしむるなり』


(保育園の運動場でいつも園児を見守ってくださる親鸞聖人の童形像です)



 歓と喜はどちらもよろこぶという言葉ですが、聖人はそれぞれ、身がよろこぶ、心がよろこぶと味わっておられます。現在の漢和辞典にはない解釈ですから、聖人独特の味わいなのでしょう。

 心ウキウキなどという言葉がありますので、心がよろこぶというのは、何となくうなずけるのですが、身がよろこぶとはどういうことかなぁ?と長年思っていたのですが、最近、勝手な解釈かも知れませんが、「わが身を納得して生きることができる教えに出遇った」というよろこびといただいております。不足を言えば、いくらでも言えるわが身ですし、人と比べればいやになる身であります。だけど、その私を納得して生きることが出来る。私は私でよかったと言える。そんな世界を与えてくださる仏さまと出遇ったよろこびの表現と受け止めさせていただいております。

 人と比べて一喜一憂することから逃れられない私ではありますが、ほとけさまだけは、私を誰とも比較せず見ていて下さいます…。